野口英世最期の地アクラ訪問記(3)
5.アクラにおける野口英世の足跡
1)ジェームスタウン(Jamestown)
1927(昭和2)年10月22日、野口英世はアメリカ客船スキシア号に乗り、ニューヨークを後にした。スキシア号は、アクラ行きの船の乗り換え地である英国リバプールへ向かった。10月31日に、リバプール到着。11月2日に、リバプールからイギリス船アッパン号に乗り換え、ポルトガルのリスボン、モロッコのカサブランカを経由して、目的地のガーナに向かった。船は、まずガーナの西端にある港町セコンディに到着。ここは、欧米からの大型船が着桟できる設備が整っており、ガーナの通商の窓口となっていた。セコンディからアクラまでは、7時間の航海。1927年11月18日午前9時に、アッパン号はアクラ沖に投錨した。偶然にも、我々はこの日に近い、11月21日にアクラに到着した。当時のアクラは、人口7万余りで、ガーナでは内陸のクマシと並ぶ都市であったが、大型船が着桟できる埠頭はなく、船と陸の間は艀(はしけ)に頼っていた。英世は、ガーナ人の漕ぐ艀に乗って、海岸までの数100メートルを移動した。
英世の上陸した地点は、ジェームスタウンと呼ばれる場所で、アクラでは最も古くから開けた街であり、特に19世紀末に発展した。イギリス人が1871年に建てた灯台が残っている。英世が上陸した地点は、現在、ガ族を中心とする漁港であり、アクラの植民地時代の面影が色濃く残っている。街の裏手にある入江の方は、スラム化している。ここでむやみに写真を取ると、お金を要求されるとのことなので、小型カメラで何気なく写真を撮影した。
上陸地点は、砂浜であり、そこから崖がそびえ、その崖を登るとジェームスタウンの街になっている。海側からは、湾曲した海岸線が見える。英世も80年余前、艀に乗りながら、この風景を見たのであろう。
写真2 英世が着いたという海岸 |
エッセイスト 齋藤英雄
野口英世最期の地アクラ訪問記(4)へ続く