森本剛史君との想い出1~出会い・小学校時代
私の親しい友人であった森本剛史君が2014年9月22日、闘病むなしく亡くなって7年になります。生前、彼は、代官山蔦屋書店で、旅行コーナーのコンシェルジュとして多くのファンを集め、大人気を得ていました。書店勤務を始める前は、フリーのトラベルライターとして世界100ヶ国以上を巡り、数々の旅行情報を世に提供していました。一例をあげれば、一時東北新幹線の車内におかれたパンフレットに三内丸山遺跡についての記事がありましたが、これも彼の手によるものでした。
豊富な経験を生かして蔦屋書店のコンシェルジュとなった彼は、まさに水を得た魚のごとくでした。彼の訃報は毎日充実した日々を送っていた矢先のことで、私にとって大変大きなショックでした。小さいころから一緒に遊び、学び、還暦を過ぎるまで60年近い年月を友として付き合ってきた彼は、私の一生に少なからざる影響をを及ぼした人物で想い出は泉のように湧き出てきて尽きることはありません。
ふと思い立ち彼との想い出を少しばかり書いてみようということになりました。まず思い出すのは、若いころ「将来は古本屋のおやじになりたい」と彼がよく言っていたことです。君は、古本屋どころか大書店の一角を任されるという大任を果たしたのだから、今はそちらで、案外満足しているのかも知れないね。君のことを少し書くので見ていてほしいと思います。
①小学校時代
昭和30年4月、蓬莱小学校に入学、クラス分けが行われて私は1年5組に入りましたが、同じ組に森本剛史君がいました。担任は榎本玲子先生といって若くて美しい先生でした。
剛やんは市内で薬局を経営する森本薬店の長男で近所でも元気で評判の子供でした。一方、私の父親は国鉄に勤務し新宮駅の電信室で毎日トンツー・トンツーとモールス信号を打ちながら地道に一家を支えるサラリーマンでした。
違った環境で育った二人でしたが何となくウマが合って親しくなるのにさほど時間はかかりませんでした。クラスは3年生までそのまま持ちあがりとなったこともあり、放課後は彼と遊ぶことが増えていきました。
彼はとても明るくて人見知りをしない、そして人一倍好奇心の強い性格でした。好奇心の強いところが私と似ていてそれがお互いに引きあった要因だったかもしれません。今日は何をして遊ぼうか、つぎつぎと新しいことを提案してくるのです。
ある時は、ウクレレを弾き、ある時は本を読んだ影響で催眠術に興味を持って弟にかけてみたりと行動範囲に際限がありません。彼の影響で、私も後にウクレレを弾き、やがてギターへと興味が続いていきました。
~つづく~
西 敏
(小学校6年生)