ロックフェラーの素顔(3)
2.成功への軌跡
1)生い立ち
幼少期に経験したことが、その後の人生に大きな影響を与えていることを発見することは、珍しくない。それは、精神の奥深くに刻みこまれ、自分では意識していないものの、それに逆らうことは難しい。JDRについても、これが当てはまると思う。
JDRは母イライザ・デイビドソン・ロックフェラー、父ウィリアム・アイブリー・ロックフェラーの第2子(長男)として、1839年7月8日ニューヨーク州ティオガ郡リッチフォードで生まれた。母は信心深く、厳しく、そして高潔な人物であった。JDRは、母の影響を受けて育ち、真面目なキリスト教徒(プロテスタントの一派であるバブティスト)として、勤勉と完璧な自己規律を実践するよう教え込まれた。また、教会へできる限りの寄付をするよう促された。
一方、父は、偽薬を売り歩く行商人で、ふらりと行商に出ては、何カ月かに一度、不意に戻ってくるという人物であった。父は「悪魔のビル」というあだ名がつくほど近所では悪い評判を持ち、JDRが10歳の時、メイドを強姦した罪で告発された。彼は、これに反論することなく、家族を置いて逃げ去った。さらに、父は、別の女性と結婚(つまり重婚)したことが、後に明らかになる。JDRは、父を嫌悪し、彼を死んだものとみなしていた。JDRが父から学んだことと言えば、どのようにして、このような不安定な生活から抜け出すか。そして、そのためには、計画が重要であり、チャンスを逃さず掴むということであった。
2)最初の仕事
JDRは、家計を助けるため、16歳にして働く決意をする。1855年9月25日、オハイオ州クリーブランドで、簿記係補助としての職を得た。彼の真面目さと几帳面さは、すぐに雇い主に認められた。彼の仕事のやり方は、正確で極めて誠意のあるものであった。そして、未払いの勘定を相当昔にまで溯って回収した。
20歳の誕生日まであと数カ月という1859年3月18日、JDRは同僚モーリス・クラークと2千ドルずつ出資し、穀物、干し草、肉、雑貨の仲買をする合名会社を設立し、独立することとなる。JDRは、まさに仕事の虫であった。彼は、オハイオ州をくまなくまわり、商売を見つけては、それを運搬するため、銀行から多額の融資を得て、事業を毎年拡大していった。
齋藤英雄