中国の印象1 福建省2019
今回の旅は、台湾の西対岸に位置する福建省。この季節、中国北部では雪が降っているというのに気温は21℃、ずっと好天に恵まれたが、この半年雨が降ってないとのこと。中国沿岸部は今や台湾、日本と同じ風景で全く面白みが無くなった。今回驚いたのは、
1) 最近の子供の状況
2) 車と女性がキレイになったこと
3) EV車(新能源)の普及
1. 最近の子供
往きの飛行機の中から驚かされた。隣に座った5歳の女の子が物怖じせずに話しかけて来る。お父さんに依れば、お互いに連れ子を持ったバツ1同士の再婚で3人いる子の理沙ちゃんと言う名のこの子は真ん中(従って子供は全部で5人)。年の内、半分は東京、半分は福建で生活し、且つお父さんは仕事で欧米を飛び廻っている生活。『英語と中国語を話せれば世界の大抵の場所で仕事が出来ますからね。』とお父さん。
理沙ちゃんのサインとブーちゃんの絵(Sの曲がりが逆)
又、今度の旅とは直接関係無いが、新明和で中国人を束ねていたリーダー氏も自身は東京の大学に留学、日本語ペラペラ。奥さんは小学校の英語の先生で英語ペラペラ。土日を利用して京都の紅葉を見に来たと言うので会ったが、14歳の一人娘は、長期休暇の際には一人で米国の叔父さんの家に行って英語漬けの生活を送る。第2外国語は日本語で『私の一日』と言う彼女が編集したビデオを見せてもらったが、日本語もしっかりしたもの。
中国では、新人類と呼ばれた「80(パーリン)台後(ホウ)」が社会の中堅になり、更に国際感覚豊かな子共達がこれからの中国を牽引して行くのだろう。
※ リーダー氏は、フランス語を学ばせたかったらしいが、本人の意思で日本語に。周恩来、鄧小平など中国人は一般にフランスに憧れる傾向がある。
※ リーダー氏に関して言えば、上海の合弁会社は余り振るわない様子。日本から送り込まれている責任者も近く定年を迎えるが後任が送り込まれる様子もない。リーダー氏は既に成都に日本の機器を紹介する会社を立ち上げている。(資本金500万元≒8000万円、合弁会社の旧部下が辞めて常駐している。)
中国では、人件費上昇もあってどんどん内陸部に進出しているらしい。成都は、毛が政権を取ってから外国の侵略を嫌い、軍需工場を内陸に移したため工場の基盤はある。(鄧小平はこの移転事業の実績を買われ北京に呼び戻された。)且つ、日本のODAで作られた立派な道もあるので、『港に運ぶにも物流には全く問題がない。』
2. 車
これまで中国ではタクシーと公共バスに関しては中も外も汚いものと思っていたが、都会は勿論、田舎もキレイな車が走っている。(台湾も5年前に行った時、急にキレイになったことを覚えている。)更に歩行者優先の運転マナーになっているし、市バスなども英国並みに2階建て車が走っている。
更に電気自動車が普及しているのにも驚いた。田舎でも1%、福州や廈門の様な大都市になると10%を越えるのではないか?中国ではPM2.5問題でこの夏から「NEV規制」が施行されている。新能源(EV)は緑色のナンバーで従来車と一目で区別できるようになっており、今後は都市部への乗入制限等にも使うことを考えているのではないか?
※1回の充電で230km走るという。充電スタンドも充実、昼食時間も充電する。
※EV車は、タクシーに多く、車は北京汽车、長安汽车、奇瑞汽车、比亜迪など国産車。
※乗用車だけでなく、バンや1トントラックなどにも緑ナンバーがあった。
EVは国産車ばかりで、トヨタやBMW、アウディなど外車は走ってない。国産車育成を考えているのではないか。タイミングチェーンで稼いでいる椿本チエインは、『あと30年はガソリン車』と言っているが、僅か3年くらいで現金決済をスマホ決済に変えた国、全車がEV化するのも意外と早い気がする。
タクシーに関して言えば、ネット呼び出しのタクシーが多く、タクシーの半分くらいを占めるのではないか。日本の様にナンバープレートの色で識別しないので判り難いが「白タク」であり、中国では合法。但し、「タクシー運転手資格は、60歳まで」と言う規制は両方に適用されている。
中国では、毎年新しい道が出来るので、皆スマホナビを使っており、通信用には別のスマホと2台を使い分けている。トンネルは50m毎に反射板が設けられており、運転手の刺激(眠気防止)になっている。
ライトの反射でリング状に光る→
3. 女性
中国では、ファッションも含め急に女性が綺麗になった。日本で女性が綺麗になったのは、昭和50年頃からと思う。10年前にはまだ化粧するという習慣も無く、資生堂の化粧水や乳液を持って行ったら大変喜ばれた。30年前に初めて中国に行った時世話をしてくれた女性事務員は、1週間ずっと同じ服を着ていたし、人ごみの中に入ったら獣の臭いがした頃を思えば雲泥の差。
子供も可愛くなった。少し前まで洟垂れボウズが尻の割れたズボンを穿いてそのまま路にしゃがんで用を足していたものだがこれも隔世の感。昔は労働力として男の子が生まれたら喜んでいたが、今は着飾らせるために女の子が喜ばれるのは日本と同じ。
~つづく~
土谷重美