こうちゃんの想い出 41~最後の親孝行(最終)
我が家で犬を飼うのは、こうちゃんが初めてでした。だから寿命が尽きて見送ることも勿論初めてのことでした。先に天国に旅だった、こうちゃんのお友だちのお葬式にいったことがあったので、お別れがどんなものかはわかっていました。でもいったいどのようにして葬儀屋と話をすればよいのか、また、費用はいくらくらいかかるのか正直わかりませんでした。
いざその時が来て、とにかく日時を決めることが先決でした。妻が率先してその手配をしてくれました。たまたまですが、金曜日に亡くなってお通夜をして一日置いて日曜日に葬儀の予約が取れました。おかげで、娘たちも勤めを休むことなく参加できたのは本当に幸運でした。これが、ひとつめの親孝行でした。
人間の場合と違ってそれほど多くの人が集まる訳ではないので、打ち合わせも比較的簡単でした。祭壇に飾る花飾りや写真などはだいたい決まっており、特別なことはありませんでした。ただ、ひとつ驚いたのは、焼き場で遺体を骨にする時、体重によって料金が替わることでした。
事務的に考えれば、確かに子犬と大型犬を比較すれば処理す時間も使う燃料も数倍違うでしょう。総合的な手間は大きく違うので、実際に作業する側にとっては重要なファクターかもしれません。この時にスタッフさんたちに憐憫の感情が入る余地はなく、ビジネスライクになって当然でしょう。そして、受け入れ時に斎場で計ったこうちゃんの体重は「9.9㎏」でした。係の方曰く、「親孝行でしたね!」
こうちゃんの体重は、それまで11.5㎏前後だったのですが、亡くなる数日前から食べられなくなっていたので痩せたのです。そして、10㎏未満と10㎏以上では料金が違ったのです。違うと言ってもたかだか数千円のことでしょうし、そんなことに文句をつけたり、よもや値切ったりする人はいくら”何でも値切る大阪の人(失礼!)”でもいないでしょう。
しかし、この係の人の一言「親孝行でしたね!」にはふと笑えました。ブラックジョークだったのか、なぐさめのつもりだったのか?私たちは、喪失感一杯の家族に対して「親孝行」というプラス思考の言葉でのせめてものなぐさめと感じました。これが二つ目の親孝行でした。
こうちゃんを囲んで家族4人がいつも笑い転げて話をしていた光景を忘れることが出来ません。我が家の明るさにはいつもこうちゃんについての話題がその中心にあったのです。我が家族の絆をつないでくれたのはこうちゃんだったと言っても過言ではありません。本当に家族の一員でした。そしてそのことは今でも変わりません。
想い出は尽きることがありません。まだまだ書けることはたくさんあります。しかし、いつも書きながら涙を滲ませていては仕事も何事も捗りません。そろそろペンを置くことにします。長い間お読みいただきありがとうございました。
ありがとう。こうちゃん!
そのうち会いに行くからね!
了
お気持ちお察しします。私も小さい頃から今までたくさんの動物を飼い、最後は全て自分の手の中で看取ってきましたので。
今は夫婦二人だけになった我が家にとって犬猫の存在は更に大きく、また訪れるいずれの時が来るのが怖いです。
でも仕方がない事ですから、今は悔いの残らないように可愛がります。
東さん、コメントありがとうございます。
以前は動物に対してさほど関心はありませんでしたが、16年間一緒に暮らしてみて思うことは、「人は一人では生きていけない、誰か(例えペットでも)と支え合ってこそ生きていけるものだ」ということです。
そして、我が相棒は先に逝ってしまいましたが、私自身に”やさしさ”を与えてくれたような気がしています。