ミイラの話
今から50年位前仕事でロンドンに出張した折、機会があって大英博物館を訪ねた。突然ミイラのコナーに出た。10体くらいが床に並び20体位がキャビネットに収められていた。気もそぞろですぐ飛び出した。
20年ほど前地中海の島シチリア(イタリア)を旅した。パレルモという町にカタコンブ(地下墓地)がある。近くの教会の聖職者の墓で、数十体の黒いミイラが天井にぶら下がっていた。暗闇に真っ黒な幽霊が今にも襲いかかってくる風情で背筋を凍らせた。
このカタコンブの一角で1920年と言うから今から約100年程前に2才で死んだと言う女の子のミイラを見た。女の子と言っても今生きていたら100才位になる。そのミイラは不思議なことに2才で死んだ当時のままで、今にも生きて動き出しそうな可愛い女の子だ。当初私は蝋人形ではないかと疑ったがれっきとした本物のミイラだ。土地の医者がミイラ化したと言うがその技術は最近まで不明だった。
1977年福沢諭吉のミイラが出たと言う。1901年没なので76年経過している。事情があって墓地の移転の為発掘した際の話だ。地下に清水が流れていたことが理由で腐敗が進まなかった。これは自然現象で出来たミイラである。体の一部に破損はあったものの実にみずみずしい姿であったと言う。そのミイラの永久保存が検討されたが、遺族(子孫)の希望で荼毘に付された。
レーニンや毛沢東がミイラ化され保存されているのは周知の話だ。
エジプトミイラが万病の良薬だったと言う。3500年前の技法だが、脳と内臓を取り出し、塩付けにして水分を除き、植物性の薬草(アロエ、サフラン、ミルラ)と瀝青で防腐処理をしたものだという。骨付きの人間かつを節と言うところだ。時の経過と共に薬草が生分解するので、薬の効果があったとすれば瀝青と言うことだろうか。これは石炭や石油、タール類だし、クレオソートなどが最近まで薬として利用されていたことから十分納得出来ることではある。
ミイラは西洋では14世紀ごろから一世を風靡した万能薬だったという記録がある。十字軍が遠征先でミイラの効用を知りヨーロッパに持ち帰った。その後シルクロードを経由して中国へ、更に日本でも17/8世紀にはポルトガルからの輸入があったらしい。鎖国の最中に徳川将軍の何人かや大名、或いは町の有力者が万能の秘薬として服用したとも言われている。やがて街でも手に入るようになり市場はどんどん加熱、ついには偽物まで出たという。
東京大学総合研究博物館と日本郵便共同による「インターメディアテク」(東京駅前KITTEビル2F)に完全なエジプトミイラが保存公開されている。開国してしばらくの後、フランス領事がエジプトから日本に転勤した際持参したという。いったい日本に持ってきた理由は何だったのだろうか。一儲けしようと考えたのかも知れないが、数年後東京大学に寄贈(一説では300円、今の時価3000万円で売却したとも)して帰国したと言われる。日本では最初で最後の完全なミイラと言われている。
前述のミルラ(密尓刺)だが同じ頃中国から輸入されていた薬草である。アラビヤなどに生えている松に似た木の樹脂で殺菌効果を持つ没薬の一種だ。当初はシルクロードを経由して中国にもたらされたもので、発音が似ていることでもあり、一時は混同混乱したという。
過日の古文書勉強会で順天堂医薬局の資料にこの「密尓刺(ミルラ)」が出てきて混同した。混同したお陰で、ミルラの勉強をするつもりが、ミイラについて知る結果となった。ちなみにミイラは一般に「木乃伊」と書く。
(註)杉田玄白はミイラとミルラを混同していたらしい、彼の愛弟子大槻玄沢の「六物新志」には輸入蕃薬六種の一つとして区別された記録が出ているのでしっかり区別していたようだ。
更に混乱した話の一つを追記しよう。中国の話。
ある医者が不治の病になり、自分の余生のない今、人の為になろうと決心。一切の食事を絶って、蜂蜜だけを食し、遺言に曰く、「自分が死んだら蜂蜜の棺桶に入れ埋葬し、百年間絶対に触れるべからず。百年後自分はミイラになっているはず故必ずこれを掘り起こすべし。万民のお役に立つべし」と。百年後どうしたかは不明だが、どうもこの医者もミイラとミルラを混同したのではないか?
最近の研究でミイラの製作にプロポリスも使われたと言われている。一時抗がん効果があると言って騒がれた品物だ。蜜蜂が巣を守るための抗菌物質で樹木の分泌物と蜜蜂の唾液中の酵素とが混ざることで出来る物質だという。
過日念願のエジプト旅行を実現した。
古のファラオにお目に掛かり、ミイラのなんたるかを学んだ。ファラオは神に貢ぎ物をして自分も神になる。そして未来永劫の来世を祈願した。来世のために肉体も、そして食料やあらゆる日常の必需品を持って新しい出発を祈念して葬祭を行ったのだという。
ひょっとしたら百薬の長として新しい生に乗り移っていったのだろうか。そして今もヨーロッパで、そして日本で、ひょっとしたら私たちの体の中に生き続けているのだろうか。
3500年のロマンは感激であった。
東 孝昭