英国探訪2 大英博物館―ロゼッタストーンが語るものとは

ロンドンにある大英博物館で最も有名な展示品のひとつがロゼッタストーンです。ガラスケースに囲われた、歴史上最も有名な石の周りをいつも見物人が取り囲んでいます。

ロゼッタストーンは、1799年ナポレオンがエジプト遠征したとき、ナイル河口西岸のロゼッタ村で砦を築く作業中、兵士のひとりによって偶然発見されました。

石の表面には3種類の文字で碑文が刻まれています。それらは古代エジプトのヒエログリフという象形文字、デモティックという民衆文字、ギリシャ文字です。ロゼッタ石発見から20年後、フランスの考古学者、シャンポリオンによって神聖文字の解読が成し遂げられました。

解読の最初に、ギリシャ語の「プトレマイオス」を手がかりに8種類の文字が解明されました。ヒエログリフからも「プトレマイオス」と「クレオパトラ」の王名を見出し、4つの音価を発見し、他の記号にもアルファベットの音価を当てはめることに成功しました。こうしてシャンポリオンは表意と表音の入り混じったヒエログリフを解読していったのでした。

ところで、エジプトと言えばクレオパトラの名は余りにも有名です。彼女の波乱の物語は、映画「クレオパトラ」で描かれ、エリザベス・テーラーが妖艶な女王を演じました。

紀元前51年、クレオパトラが18歳の時に父が死亡すると最も年長のクレオパトラが弟のプトレマイオス13世と兄弟婚を行い、共同で王位に就きました。彼女は強大なローマとの同盟が唯一エジプトの存続の道であると考えましたが、弟との共同統治は弟の側近の介入により亀裂が入り、弟王とは仲違いしていきます。

紀元前48年、ポンペイウス追討のためにエジプト入りしたカエサルのもとに、クレオパトラは自らを寝具袋にくるませ、贈り物として届けさせ、王宮へ入ることに成功しました。

そしてカエサルを魅了し、彼の愛人となり、カエサルの子を産みます。紀元前46年、カエサルが10年間の独裁官に任命され、凱旋式を挙行したころ、息子をつれてローマを訪れました。しかし紀元前44年にカエサルは暗殺されました。

ロゼッタストーンはそんな古代ローマとエジプトを結ぶ悠久の歴史と栄華の物語を偲ばせてくれます。

 

風戸 俊城

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