天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その4
(前号から)偉人としての福澤諭吉と、近衛家のプリンスで著名な作曲家の秀麿氏、中川先生とを同列に論じるのは、中川先生をご存じない方が苦々しく思われるかもしれない。
しかし、先生は声楽家でありながら近代日本の音楽(洋楽)の歴史を作ってこられた近代音楽史そのもののような方である。先生は単なる名誉に執着されることはなく、日本を代表する音楽家として海外でも常に高く評価されていた。
亡くなる3年前にはイタリア政府より外国人として初めての最高位の勲章『連帯の星』(グランデ・ウフィチャーレ勲章)を授与されている。これはイタリア政府から先生への3つ目の勲章でもある。
一般人(凡人)にとって非常に困難なことを容易にできる能力を天性として持っている人を天才というのなら中川先生は正しく天才と言えるであろう。さらに知識として言葉で教えることが出来ないことを教えるために黙ってご自分の行動を見せてくださった。
次回からは先生の先導で日本の音楽史がどのような変化発展を遂げていったかについて述べてみたいと思う。
(次号へ続く)
杉本知瑛子
大阪芸術大学演奏科(声楽)、慶應義塾大学文学部美学(音楽)卒業。
中川牧三(日本イタリア協会会長、関西日本イタリア音楽協会会長))、森敏孝(東京二期会所属テノール歌手、武蔵野音大勤務)、五十嵐喜芳(大芸大教授:イタリアオペラ担当)、大橋国一(大芸大教授:ドイツリート担当)に師事。また著名な海外音楽家のレッスンを受ける。NHK(FM)放送「夕べのリサイタル」、「マリオ・デル・モナコ追悼演奏会」、他多くのコンサートに出演。