天才と凡人 ~中川牧三―近代日本の西洋音楽の歴史を創った人物~その1

天才と凡人

「天才とは天性の才能である。」(広辞苑より)

結果だけを見て、凡人には想像も出来ないことを成し遂げる人間を私達は単純に天才と呼んでしまう。

「シューベルトは梅毒の病魔が脳を侵し、その正常と異常の狭間で『冬の旅』が作曲された。」

「天才と狂気が作り上げた作品をどのようにして解明できるのか? 解明? それは無駄なことである。・・・」

と、長い間(現代の医学でシューベルトの梅毒は完治していたと証明されるまで)考えられていた。

このように、天才と凡人は全く別世界の人間のように考えられてしまいがちである。

しかし本当にそうであろうか?

まずは明治の偉人福澤諭吉と、近代日本の西洋音楽の歴史を作った人物、中川牧三の中にみられる天与の才能について考えてみたい。

福澤諭吉と中川牧三の学問研究に対する姿勢について

でははじめに、偉人福澤諭吉は天才か?否か?について考えてみたい。

現代から見て諭吉が偉人中の偉人であるということには疑いようは無い。

しかし『福翁自伝』を読んでみて感じることは途轍もない秀才ではあっても、果たして天才という部分は・・・という疑問である。

諭吉は勉強(当時の読書)を14~5歳で、初めてやる気になりそれから田舎の塾に行きはじめ、その後白石塾に4~5年通い漢書を学んだ。

その白石塾で学んだ漢書の量と質の凄さには驚かされる。・・・『論語』『孟子』『詩経』『書経』『蒙求』『世説』『左伝』『戦国策』『老子』『荘子』『史記』『漢書』『後漢書』『晋書』『五代史』『元明史略』などなど。

もうこの時点で、私には福澤諭吉の精神の足跡を辿ってみようという考えは、跡形も無く消え去ってしまっていた。

こういった人並みはずれた能力を天才というのなら、諭吉は正しく天才と言えるであろう。

諭吉は(長崎遊学前)兄に尋ねる。
「原書とは何のことです」
「原書というのはオランダで出された横文字の本だ。いま日本には翻訳書というものがあって、西洋のことが書いてあるけれども、本当に事を調べるにはその大本になるオランダ語の本を読まなければならない~」と兄は答える。

(次号 11月18日に続く)

杉本知瑛子

大阪芸術大学演奏科(声楽)、慶應義塾大学文学部美学(音楽)卒業。
中川牧三(日本イタリア協会会長、関西日本イタリア音楽協会会長))、森敏孝(東京二期会所属テノール歌手、武蔵野音大勤務)、五十嵐喜芳(大芸大教授:イタリアオペラ担当)、大橋国一(大芸大教授:ドイツリート担当)に師事。また著名な海外音楽家のレッスンを受ける。NHK(FM)放送「夕べのリサイタル」、「マリオ・デル・モナコ追悼演奏会」、他多くのコンサートに出演。

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