十男14歳日記 昭和38年2月4~7日

誤字・脱字・意味不明・理路不整然、しかも下手な字。信号機もない、塾もない、家庭教師とも無縁の田舎の中学2年生の日記。公開する勇気が“恐い”。(日記は原文のまま) 

2月4日 月 雪 毅兄へ手紙出す

大雪である。昼からの休みにバスケットを初めて試みた全然上手ではないが仲々おもしろいものである。まだルールを完全に完成していないのでよく分からないが覚えて行こうと思う。夜、父が意地をはって「俺は当選したから嬉しいで」と言っておられたがこの前の夜はのんで情けないと言っておられた。めったに言わない父である「良かった~~」の連発である。父の心は良くわかる。いや僕にも計り知れない苦しみがあるのだ。「いいからいいから」の調子で進むことを望むだけだ。今日書取のテストがあった。医療の療の字を尞と書いた。最高九十八点はいきそうである。直今日のは二十七回公民館で「かわなみ-ン」をかる。

2月5日 火 晴 日直 本文略

2月6日 水 晴後雨  本文略

2月7日 木 晴

すっかり雪もやんだ為か夕夜一時頃なったサイレンはなだれの事故であった。山根下の山根敏さんたかの家が高さ百米の所から雪なだれがしてつっこみ寝ていたおっさん、長男、嫁、子供二人計五人が生き埋めになった。死亡された。下校中現場を見るとおもちゃ、家具などあちこちに。「無残」であった。その取材の為 各方面から飛行機で飛んで来て計十一機が来る始末であった。誠に恐いものである。これをきっかけとして匹見町も今日は雪かき。皆さんも無事に一生を送りたいものですね。ハイ ソレマデヨ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

誤字・脱字・意味不明・理路不整然、しかも下手な字。信号機もない、塾もない、家庭教師とも無縁の田舎の中学2年生の日記。公開する勇気が“恐い”。(日記は原文のまま)
*****************

吉原和文

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です