笑説「ハイムのひろば」37 新しい仲間との出会い
江上和夫と久し振りに一杯やりながら、クマノザクラのハイムへの植樹再挑戦を約束した西野敏彦は、その日ご機嫌であった。友人と何か共通の目標を立てて協力しながら物事を進めることに喜びを感じるのだ。そうすることで、身体に新しいエネルギーを呼び込むことが出来るような気がするのだ。
親しい友人と飲みながら話していると、普段一人で思っていることをつい語りたくなる。この時も、ハイムのひろばをつくる会の行く末を案じていること。できれば若い世代の後継者を探していることを知らず知らず吐露していたようだ。そこへ、江上がふとこんなことを言った。「越智博之さんに一度話をしてみたらどうでしょう」「現役でまだ仕事もしているし忙しいでしょうが、パソコンもできるし、とても協力的ないい人ですよ」と。
越智博之なら実は西野もよく知っている。近所のワンちゃん友だちの一家で散歩中に何度か会っている。女性同士の場合、時々、リードを手にしたまま長時間おしゃべりしているのを見かけるが男同士ではそれは少ない。ひと言ふた言挨拶はしても、直ぐにお互い散歩に専念するのが普通だ。これはいい話を聞いた。今度、一度会って話をしてみようと決めた。一粒で二度おいしいはグリコかなんかの文句だったが、その日は一杯で二度おいしい飲み会になった。
それから少し経って、西野は越智博之宛てにメールを送った。つくる会の現状を簡単に説明しできれば協力をお願いしたく詳しく話がしたいので一度会って欲しいとお願いをした。話の趣旨を理解してくれた越智は自分だけではなく普段別の会で一緒に活動しているもう一人の人物、堀良彦を紹介してくれた。堀は40歳と更に若く現役バリバリである。この二人の都合を確認して、いつもの洋室で会うことになった。
当日この二人と面会し、西野は、「ハイムのひろば」の基本情報及びつくる会の歴史と現在の活動内容をまず説明した。二人とも大規模修繕工事委員会のメンバーで熱心にその役を務めていたが、ハイムのひろばのことはあまり詳しくは知らなかった。ここでも西野は、役に立つ情報を提供していると自負していても、やはりまだまだ閲覧は少なく、思ったより活用されていないことを知った。
それはそれとして、今後の努力次第で更に広まっていくことを信じているし、そうするためには”継続が力”であると信念を持っている。問題は、メンバーの多くが次第に高齢化していることである。当分は、つまり自分たち現在のメンバーが元気なうちは何とか回っていくが、あと何年続けられるかどうかわからない。高齢になるとみなひとつやふたつ病を抱えているし、気力も次第に薄れてくる。どうしても若返りが必要なのである。
今の活動を若い世代に引き継いでもらいたいと訴える。今すぐでなくても構わない。現役で仕事をしている人に無理は言えないが、このハイムに住んでいろいろなボランティア的活動もしているなら、その中の一つとしてこの活動にも関わってくれることを希望したい。縁あって同じマンションに住むことになった者同士がお互いのためになる情報発信をしていくことは無駄にはならないし誇りに思ってもよいと考える。
と、思いの限りを尽くして訴えた。ただ、考える時間も必要であろうと思いその場での入会はお願いせず、数年後でもよいと伝えた。むしろ、今日伝えた考えを他の若い世代の人たちに伝えて欲しいと願った。たかがウェブサイトと言えども、既に、本体の「ハイムのひろば」以外に「緑の環境委員会」「ハイム美術館」「ハイム文芸館」「ハイム蝶百科図鑑」「ハイム花の図鑑」と主力サイトだけで6つある。更にハイムクラブのいくつかの姉妹サイトもある。それらを管理しているのがつくる会なのだ。
面談を終えて帰宅後、西野は果たして思いは伝わったのか、言い忘れたことはなかったかと自問自答した。二人は、とても熱心に耳を傾けてくれたし真面目に考えてくれたようだった。例え諸般の都合で直ぐに参加できなくても、少なくとも応援してくれる気持ちさえあれば、いつかその機会は巡ってくるだろう。越智は西野より一回り若く、堀にいたっては三回り近くも若い世代である。あの時西野があんなことを言っていたといつか思い出してもらえるだけもいいのだ。
それから1カ月ほど経ったであろうか。月に1度開催する月例会の日がやって来た。西野は、二人にもし都合がつくなら活動状況を見てもらいたいと参加をお願いしてみた。幸いにして二人とも参加してくれることになった。当日、それぞれに自己紹介をしてもらったが、メンバーはみな新しい仲間(候補)に半ば驚きながらも歓迎して迎えた。それまでこんな形で新メンバーが入ったことはなかったからだ。
思ったより早めに新しいメンバーを迎えることになったつくる会としては、まず投稿で協力をお願いしたいと考え、勉強会を開いて投稿の仕方を覚えてもらうことにした。二人はパソコンには慣れているらしく、WordPressでの投稿の仕方を簡単に覚えた。間もなくそれぞれ自分の意思で原稿を書いてくれることになった.ただし期限など設けず投稿時期は二人に任せた。
堀良彦には、丁度その時に募集していた「私のふるさと」というタイトルで書いてもらうことにした。初めてなのでテーマがあった方が書きやすのではと考えたからだ。下書きされた原稿を見て、西野には嬉しい驚きがあった。それは、普通の故郷紹介の記事にありがちな自然や環境、名産品などには一切触れず、子どもの頃の記憶について書かれていた。これはもう立派なエッセイである。これを読んだ代表の山名も、頼もしい新人登場をとても喜んだ。
一方、越智博之は「地面の蓋」と題したマンホールの蓋に関する記事を書いてくれた。これにはメンバー一同、感心仕切りであった。まず、切り口が思いもよらぬところであったこと。そして、蓋に描かれた文様の持つ意味についての解説があり、その町の歴史や文化にまで繋がっていくという実に面白い内容なのだ。そんな記事が書けるのかと、ある種の驚きと同時に目のつけ所の意外さに嫉妬さえ感じてしまう西野であった。
かくして、越智博之、堀良彦の二人の新しいメンバーは、その後もコンスタントに投稿してくれている。「新しい人との出会いが新しい展開に繋がる」・・・まさにこのことを地で行くような展開になった。この活動を見て、将来を憂えていた西野の肩の荷が少し軽くなったような気がした。同時に、まだまだ負けてはいられない、老体に鞭打って頑張らねばと気持ちを引き締めのであった。
蓬城 新