「世阿弥と福澤諭吉」(4)
前回は「能」における「物狂い」と、西洋のオペラにおける「狂乱の場」で演じられる「狂気」について述べてみたが、今回は能楽理論で最も重要と考えられている「花」について、「時の花」と「まことの花」そして「しおれた花の美しさ」について、それらの花を比べてみようと思う。
*時の花とまことの花
問 ここに、どうしてもわからないことがある。それは、すでに年功を十分に積んだ名人に対して、最近売り出したばかりの若い役者が、競演で評判をさらうことがある。これは、どうしたことなのだろう。
答 これこそ、「年来稽古」に述べた三十歳以前の若々しい肉体や、新鮮な演戯から生まれた時分の花の魅力である。年をとった演者がもはや外面的な美しさもなくなって、演戯も古くさく、観客に飽きられてきた時期に、若い役者の持っている、一時的な珍しさの魅力が勝つことがあるのであって、ほんとうに目のきく観客は見分けるであろう。そうなれば鑑賞眼が高いか低いかといった、いわば観客側の問題と考えるべきであろうか。~
しかしながら、五十以後にいたるまで芸の花を、失わないほどの演者には、どんな若さによる芸の花をもった演者でも勝つことはないであろう。
ただこの若い演者におくれをとるというのは、そうとうに上手な演者が、芸の花を失ってしまったために負けるのである。
~どんな名木といわれるような木であっても、花の咲いていないときの木を鑑賞する人がいるであろうか、見すぼらしい桜の、つまらない花であっても、他の花に先がけて、珍しげに咲いている方が眼にうつるに違いない。こうしたたとえを考えてみれば、それが若い演者の一時的な芸の花であっても、競演に勝つのは当然であろう。
以上のようなわけで能において、もっともたいせつなことは、舞台における花であるのに花がなくなってしまったことも覚らずに、昔の名声ばかりに頼っていることは、老齢の演者の大きな誤りである。たとえ、技術的には、数多くの曲を身につけたとしても、舞台における花をいかにして咲かせるかということを知らない演者を見るのは、花の咲いていないときの草木を集めて見ているようなもので面白くない。あらゆる草木において、花の美しさは、それぞれに異なっているけれども、面白いと感じる根本は、ひとえに花の魅力という点にあるのだ。 (『風姿花伝』「第三 問答」より)
世阿弥著『風姿花伝』の「第三 問答」は、実際の上演についての一問一答を記したものである。
上記は「時の花とまことの花」について、問と答えの一部分である。
世阿弥は「たとえ身につけた技術の幅はせまくとも、ある一方面において花を咲かせるということを身につけた演者であれば、その一方面についての良い評判はそれなりにつづく」と言い、それを
「時の花」(若さによる芸の花・一時的な珍しさ)と名づけている。
これに対し「芸における花のありかたをきわめた上手ならば、たとえ年をとって技術は衰えても花の魅力はいつまでも残るであろう。花さえ残っていれば、その人の舞台の魅力は一生涯あるはずだ」と言い、それを「真の花」(芸についての工夫、技術と研究を極めつくした演者に存在する花)と表現した。
では、「しおれた花の美しさ」とは?
問 つね日ごろ、批評用語として、花がしおれたような美しさ、ということがいわれる。
これはどんなことをいうのであろうか。
答 これは、とても文字で書くことはできない。もし書いたとしても、しおれた花の美しさといった感覚的な風趣は現されないないであろう。しかし、たしかにしおれた風趣というものは存在する。
だがそれも、芸の花というものを身につけたうえで、にじみでる趣なのだ。よくよく考えてみると、こうした美しさは、芸術的な感覚によるものであるから、技術的な稽古や、形としての身振りで表現することはできない。その人が芸の花を身につけたうえで、自得することであろう。
(『風姿花伝』「第三 問答」より)
世阿弥は続けて述べる。「すべての演戯を通じての花というものを身につけていなくても、ある一面に置ける花をきわめた演者であれば、しおれた美しさを知ることもあるであろう。このしおれた美しさというのは、花よりもさらに一段階上の境地と考えられる。もともと花が咲いていなくては、しおれるということは無意味である。」
「美しい花がしおれた趣が面白いので、花も咲いていない草木がしおれたところで、なにが面白かろう。花をきわめることさえ一大事であるのに、しおれた風趣というのはその上とも考えられる感覚的な美であるから、なおなお大変なことなのだ。だから、譬(たと)えによって説明することもむずかしい。
『新古今集』秋の上にある藤原清輔の歌に
薄霧の籬(まがき)の花の朝じめり
秋は夕と誰か言いけん
(朝の薄霧のなかに、垣根の花がしっとりと咲いている、
秋の情緒は夕方にかぎると誰がいったのだろうか)
『古今集』恋の五にある小野小町の歌に、
色見えで移ろふものは世の中の
人の心の花にぞありける
(それとはっきり様子に見えないで、いつの間にか色あせ、
やがて散ってゆくものは世間の人々の心の花であるよ)
そして世阿弥は語りかける。「これらの歌から感じられる風趣が、しおれた美しさといわれる趣であろうか。それぞれの心の中で、考えて見るべきだ」と・・・
最後に、能における「花」とはどのようなもので、どのようにして把握すべきかが書かれている。
*「時分の花」「声の花」「幽玄の花」・・・年齢的な若さの新鮮な美、といった外面的な美しさ。
草木の花と同様に、やがてその時期になれば散ってしまう、いつまでも咲き続いていない花。
*「真の花」・・・高度な技術と、深い人生体験をふまえた演者は身につけた真の花が、どうして
咲くのか、どうして散るのかといった花の理論を自覚しているから、名演技者としての名声
はその人の心のままである。
だから、久しい年月にわたって、花を咲かし続けることが可能である。
「まず、七歳で稽古を始めてから、各年齢に応じた稽古のありかた、また役に扮する演戯の数々を、よくよく心の底において、そのひとつひとつを分別して覚え、多くの能の稽古をつくし、研究を極めて後に、この芸の花というものを、いつまでも失わない方法が会得できるであろう。
この多くの演目を身につけようとする意思が、すなわち、花を咲かせる種となるのだ。
芸術における花というのは、心の働きによって咲くものであり、種はあらゆる面にわたっての技術というべきである。」 (『風姿花伝』「第三 問答」より)
「~自分が、家を守り芸を重んずるあまり、亡父観阿弥の残しおいた教えを、心の底において、
大要を記したものだ。~能という芸術の衰退することを心配して書き残したものである。~
~ただ、能を継承する子孫への教訓として残しておくことに外ならない。
風姿花伝の条々は以上で終わる~
従五位下左衛門大夫 泰 元清 書 」
(『風姿花伝』「第三 問答」末文)
世阿弥は難しい芸術論を、それこそ子供にも分かりやすいように「花」にたとえて著している。
『風姿花伝』の成立は1,400年(最初の3つ)、“能という芸術の衰退することを心配して、能を継承する子孫への教訓として”書き記したものである。
福澤先生は明治初期にやはり、それこそ子供にも分かりやすいように平易な文体と明快な論理で新時代の指導原理を説いた啓蒙書『学問のススメ』を出版された。
大きく時代はかけ離れていても、また国家像と芸道という違いはあれどもそれぞれの未来を見つめる眼差しは同じものではなかったか。
*『風姿花伝』の「第七 別紙口伝」に記されてある下記の文章を追記する。
~能を極めつくしてみれば、花という特殊なものが別個に存在するわけではなく、能の奥義に達し、あらゆる場合に珍しさを生み出す道理を自覚し身につけることのほかに花というものはありえないのである。~
この「別紙口伝」は、~我が家の大事な教えであり、一代の中に一人しか相伝しないほど重要な秘伝である。たとえわが子であったとしても、それだけの才能のないものには伝えるべきではない。
「家といっても、血統や家柄ではない。芸道の正しい伝承がなされることが家なのである。
~芸道を知るということが真の後継者の資格であるのだ」という言葉がある。
この「別紙口伝」こそは、芸術家の理想とする妙なる花を獲得しうる教えであるはずである。
(完)
杉本知瑛子
大阪芸術大学演奏科(声楽)、慶應義塾大学文学部美学(音楽)卒業。中川牧三(日本イタリア協会会長、関西日本イタリア音楽協会会長))、森敏孝(東京二期会所属テノール歌手、武蔵野音大勤務)、五十嵐喜芳(大芸大教授:イタリアオペラ担当)、大橋国一(大芸大教授:ドイツリート担当)に師事。また著名な海外音楽家のレッスンを受ける。NHK(FM)放送「夕べのリサイタル」、「マリオ・デル・モナコ追悼演奏会」、他多くのコンサートに出演。