イラン追想(その27)テヘランの思い出(14)

1978年のある日、私は上司の部屋に来るように言われました。

そこで告げられたことは、次の朝イスタンブールに飛ぶようにとの出張命令でした。

その理由は、市内で興っている騒乱や混乱のために、通信回線が中断されたためというものでした。

当時、海外との交信はもっぱらテレックスを通じて行われていました。写真はテレックスの通信に使用される通信テープを作成する機械です。

風戸 俊城

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です