オランダ点描(25)水との戦い + 最後のご挨拶
オランダは国土の4分の1が海面下。そのオランダの中で最も低い地点は私が今住んでいるロッテルダム市にあり、海抜マイナス6.7m。私の家からそれほど遠くではありません。私の家も自慢じゃないですが、マイナス6m程度だと思います。海面下だからといって別にジメジメしているとかは一切ありません。ロッテルダムの町そのものがライン川の下流にあたるマース川が北海に注ぎ込むその河口近くのデルタに出来た町で、他の場所よりも低いところなのです。昔から常に風車で溜まる水をくみ上げて排水しなければなりません。今では排水の主力は電気によるものですが、もしもこの排水作業を怠ればあっという間に国土が水没しかねません。オランダの4分の1がそんな状態なのです。日本では下水処理の代金は水道代とセットで払っていますが、ここでは特に低い地域の人々は自分で風車を回したり水を汲みだしたりしませんが下水処理とは別に「排水作業のための税金」を払っています。しかも、「深さ」によって若干の差が付けられています。
オランダで作られた地図を見ると分かるのですが、あちこちに池か湖かのような青く塗られた箇所があちこちにあります。そして、湖にはオランダ語で「・・・Meer」とあります。もう一つ「・・・Plas」とあるのは昔泥炭を掘った後に水がたまった水溜まり・池なのです。地図で見る限りかなり広いものでも、池の中に細い堤のようなものが微妙に残っているものがありますが、これは昔その場所で泥炭を掘り運び出した時に使った運搬路なのです。その低湿地から泥炭を掘り出し燃料にする一方、低湿地から排水して徐々に牧草地や農地に変え、さらには「・・・ポルダー」という名で呼ばれる干拓地に新しい街を作っていったのです。排水のため一定区域を直線状に排水路を残しながら干拓していった結果、面白い形の土地ができあがります。また、第2次世界大戦後オランダも食料不足で、新しい農地が必要ということで干拓がどんどん進められた時期がありました。
国土が低いことで、大変な災害が起こることもあります。昔、お話で「手で堤防の穴を塞ぎ決壊を防いだ男の子」の話を覚えています。土手からちょろちょろ水が漏れているのに気付いた男の子は、勇敢にも自分の手でその水漏れを防ぎ、村を守った!と。その話はどうも脚色されたもののようですが、オランダ人はやはり水と戦い続けてきたことだけは確かです。
2年ほど前、春先にスイス・南ドイツで季節外れの大雨が降り、雨と融けた雪のためライン川が氾濫し、ケルンやデユツセルドルフのアルトシュタットが水浸しになったことがありますが、その時は洪水の水は川下へと押し寄せては来たのですが、一部オランダの中部あたりでハイウェイが何キロにもわたって水浸しにはなりましたが、河口に近いロッテルダムはむしろ水の被害はゼロでした。川下の方が危なそうに思いましたが、河口付近は水の流れが何本にも枝分かれして水を分散させ水位を下げていたのです。ほんとうに河口地域が恐ろしいのは、高潮で河口から大量の海水が逆流する時です。1950年代、大変な高潮で被害が発生し、それを契機に河口付近の川にはたくさんの大きな水門を作り海からの逆流をコントロールするシステムが作られており、そのおかげでこの30-40年は高潮による被害からは解放されています。
ご愛読いただいた皆様へ:
今回の「水との戦い」で私の「オランダ点描」はひとまず終了となりました。
拙い話に最後までお付き合い頂き有難うございました。
少しだけ注書きは付けましたが、文章の書かれた90年代当時の話となっておりますので、最近オランダに行かれた方はこれを読まれて、「何だか話が違うよ」と思われるところもあったかもしれません。
オランダは、昔からの古い伝統を頑固に守るところもある反面、結構新し物好きで、街などもどんどん新しく変化します。また、国民性として突飛な発想をする非常におもしろい面も持ち合わせています。その意味で、融通無碍、なんでもあり、なのです。それに加えて、関西風の「イチビリ」精神もあり、外国人としてですが、我々家族はオランダ人相手に約6年のあいだ楽しく生活することができました。
今後は、「点描」で書けなかったことなどを20年以上前の古い記憶をたどりながら、「追憶のオランダ」と題して思いつくままに投稿させて頂く予定です。その時までしばしお別れです。
Tot ziens. Dag!
宮川直遠