シンゴ旅日記ジャカルタ編(1) ジャカルタを走る日本の通勤電車の巻
さあ、満を持してジャカルタ編の始まりです。第一回はジャカルタを走る日本の通勤電車の巻です(2017年11月・記)。
鉄道マニアでもない私がインドネシアの鉄道の駅に行き、列車の写真を撮ることになりました。
と、いうのは東京に住む友人がインドネシアの通勤電車にJR東日本(南武線)で使われていた電車が再生されて運行されているので、その列車について書いて送ってほしいとメールがあったからです。
私もジャカルタ首都圏の通勤列車がどのようになっているかは興味を持っていました。
また、この10月に路線のひとつでジャカルタからブカシまでの路線がブカシから私の住むチカランまで電化され運用されることになりました。
そのニュースを知り、一度はジャカルタの通勤列車がどんなものかを見に行こうと思っていました。
ジャカルタ首都圏通勤電車網は日本のJICAにより1980年代に計画され、円借款により電化、複線化、信号システムの導入がおこなわれてきました。
当初は新しい車両を日本やドイツから購入し、一部は国産化していたのですが、1997年のアジア通貨危機により資金が不足したり、国産車両に故障がでたりしたときに、姉妹都市であった東京都から都営地下鉄の中古車両の譲渡がなされたのです。それ以来、日本の鉄道会社から中古(廃車?)車両を購入し、再生して運用しているのです。すでに1,000両ほどの車両があると言われます。インドネシアの鉄道はオランダ時代に敷設されていたので、その上を日本の車両が走っているのです。軌間は狭軌の1067mmです。
ジャカルタ首都圏鉄道は2008年に民営化されたインドネシア国鉄の子会社のボデタベック通勤電車会社(PT KAI Commuter Jabodetabek)が運営していました。
ジャボデタベックとはジャカルタ首都圏の総称でジャカルタ、ボゴール、デポック、タンゲラン、ブカシの各都市の頭文字を組み合わせたものです。そして路線網が拡大したことにより2017年9月から社名がPT Kereta Commuter Indonesia(KCI)となりました。
その拡大した一つがブカシ線です。
ブカシ線はジャカルタ・コタ駅からブカシ駅まで運行されていたのですが、今年10月にブカシーチカラン間の18kmが電化されたのです。
チカランの駅舎も日本の援助で立派なものになりました。
しかし、現在はまだチカラン駅までの全面開通は行われておらず、日に5往復のようです。
私はこのチカラン駅にはまだ行っていませんが、友人から開所式当日の写真を送ってもらいましたのでここで紹介します。
今回、私が見に行ったのはブカシ駅の方なのです。
と、いうのは会社の運転手がチカラン駅よりもブカシ駅の方が電車が多いという助言に従ったからです。ブカシ駅は北口と南口があります。私たちは駐車場のある北口に向かいました。
車を道路脇の駐車場に入れ、そこからオートバイがたくさん並んで置いてあるところを抜けて駅の切符売り場に着きました。切符売り場、自動券売機などが並んでいました。
私がホームで電車が見たいと運転手に言うと、彼がプリペードカードをポケットから出してこれで入ってくださいといいました。入場料は3500ルピア(30円)だと言いました。
チケットには何回も使えるカードと、一日払いのカードがあり、一日タイプは使用したあとに窓口で精算すると残金が払い戻しされるとのことでした。
マルチタイプが日本のようにチャージして使えるかどうかは聴くのをわすれました。
改札口は遊園地にあるバーを体で押して回転させて抜けていくものでした。
駅のホームへは線路を横切ればすぐそこなのですが、ちょうどその時に通過電車が来たため警備員が手を広げて制止したので通過電車を待つこととなりました。
ブカシ線はジャカルタからジャワ島の北部を通りチカンペック、チレボン、スマランを抜けてスラバヤに向かう720kmの北本線の一部区間です。
それでジャカルタからスマランやスラバヤを結ぶ中遠距離列車はブカシ駅に停車しないのです。
電車の通過を待って線路を横切ると、電車が二台というか二編成が停車していました。
これが東京を走っていた車両なんだと思うと少しうれしい気持ちでした。
JR東日本の南武線の車両がインドネシアの線路を走った時のエピソードがあります。
2015年の年末、南武線の205系車両が引退する最終日に乗車した大学生が着席して短時間眠った際にスマホを紛失してしまいました。どこを探しても見つからず諦めていたところ翌2016年の春、突然その大学生のフェイスブックにジャカルタから「スマホを預かっている」というメッセージが届いたのです。シートのすき間に落ちたスマホが車両ごと海を渡ってインドネシアに輸出され、その車両の点検をしていた技師が発見して連絡したのでした。
そんな話を思い出しながら、私は線路を横切って列車を見ることにしました。
私はホームに上がり、歩きながら客車を覗いたり、ホームで電車を待つ人たちの写真を撮りました。
私がブカシ駅に行ったのは土曜日でした。
電車が到着すると大勢の人がおりてくるので改札とホームをの間のを結ぶ通路は混雑しました。
停車している電車が一体何両編成なのかと車両ごとに数えて行きました。しかし車両をよく見るとドアの上のところにジャカルタに向かって先頭から1,2,3と番号が書いてありました。
一番最後の車両には10と書いてありました。
新しく到着した電車の中では床を清掃している人の姿もみかけました。
また駅のあちこちには多くの警備員がいてみなKCI(Kereta Commuter Indonesia)と書かれたヘルメットをかぶっていました。
私は最初の電車を見終り、反対側に停車している電車をみにホームを移りました。
その二台目の電車を見ている間に、最初に見た電車が出発し、少し経つと次の電車がそのホームに入ってきました。それで私は二台目の車両を観終わってから線路を渡り隣のホームに行きました。到着した電車の座席はきれいな色使いでした。インドネシアで交換したのでしょうね。
車内に入って歩いていると、車両の一番端の角に消火器が設置してあり、「綾瀬検車区」の表示が目に飛び込んできました。そして消火器から視線をあげて、車両の上部をみるとそこには「日本車両」と製作会社の銘板がそのまま残っていました。
もっと日本の痕跡がないだろうかと見てみようと、先頭車両に行き操縦席を覗いてみました。
するといくつかの計器の表示が日本語のままでした。
きっともっと日本語表示があるに違いないと思い、先頭車両からホームに沿ってあるきながら車両台車の部分を見ていくと、やっぱりいくつかの日本語表示が残っていました。
ホームを折り返してきてもう見学を引き上げようと、後部車両の前を通ると、今まで気が付かなかったのですが、窓ガラスには「乗務員室」の文字が浮かんでいました。
インドネシアを含むアジアでは日本の中古機械がまだ多くつかわれています。
道路では日本の運送会社の名前が入ったトラックが、工事現場では日本の工事会社の名前の入ったクレーンを見ることがでます。ある時、現地の人に日本の中古機械を使うのかときいたことがあります。答えは「日本でしっかり動いていたから新品よりも信頼ができる」とのことでした。
丹羽慎吾