シンゴ旅日記インド編(その51)ジェットストリームの巻

小学生の時に岐阜の田舎で始めてFM放送を聴きました。

今まで聞いていた中波放送のガチャガチャした番組と違い、時間をゆっくりと使い、

コーヒーを片手に都会の人の会話が続き軽音楽が流れていました。

コーヒーカップがソーサーと当たるカチャ、カチャという音が聞こえました。

なんて田畑の風景とはかけ離れた都会的な番組だろうと思いました。

私にとっては大きな驚きで、それこそ別世界でした。

私も都会にあこがれる年頃だったのでしょうね。

 

そのFM放送の中でもご存知ですか『ジェットストリーム』という深夜番組を。

長寿番組でした。FM東京で1970年4月26日に始まりました

元は東海大学の実験局であったFM東海で1967年から試験放送として流れていたようです。

私はジェットストリームをFM東海で聞いたのですね。

その『ジェットストリーム』の詩をネットで見つけました。

音楽も映像とともに見ることができました。

都会にあこがれていた子供の頃に戻りました。

まずはあの城達也さんの定番の台詞から。

 

『遠い地平線が消えて、ふかぶかとした夜の闇に心を休める時、

はるか雲海の上を 音もなく流れ去る気流は、

たゆみない宇宙の営みを告げています。
満点の星をいただく、はてしない光の海を

ゆたかに流れゆく風に 心を開けば、

きらめく星座の物語も聞こえてくる

夜の静寂(しじま)の、なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていった はるかな地平線も瞼(まぶた)に浮かんでまいります。
日本航空があなたにお送りする音楽の定期便 ジェットストリーム

皆様の夜間飛行のお供を致しますパイロットは 私、城達也です。』

上記のナレーション以前に使われていたのは次の詩でした。

『太陽が沈んでから、もう随分時が流れました。

昼間の騒音と埃に汚された時間は、

すっかり宇宙の果てしない暗黒の中へはき出され、

今、私たちの周りを音もなく流れている時間は

高度1万メートルの空気のようにフレッシュです。
地球の自転によって成層圏で起こる壮大な大気の流れ、ジェットストリーム。

その神秘的な永久運動さえこの純粋な時間の流れの中では、

夜の潮騒のように私たちの身近に迫ってまいります。
これからの1時間、日曜を除く毎晩、日本航空があなたにお届けする音楽の定期便 ジェットストリーム 皆様の夜間飛行のお伴をいたしますパイロットは私、城達也です。』

そしてエンディングです。

『夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは

遠ざかるに連れ次第に星の瞬きと区別がつかなくなります。

お送りしてますこの音楽が美しくあなたの夢に溶け込んでいきますように・・・。

ではまた午前零時にお会いしましょう。 おやすみなさい。
日本航空がお送りしたジェットストリーム そろそろお別れの時刻が近づいてまいりました。

皆様のお相手は、わたくし、 城 達也でした。』

そして城さんの最終回の1994年12月末の放送です。

『日本航空がお送りいたしました、ジェットストリーム、

そろそろ、お別れの時間が近づいて参りました。

皆さまのお相手は、わたくし、城 達也でした。
25年間、わたくしがご案内役を務めて参りましたジェットストリームは、

今夜でお別れでございます。

長い間 本当に、ありがとうございました。
またいつの日か、夢も遥かな空の旅でお会いいたしましょう。

そして、来年(1995年)1月2日からは、装いも新たなジェットストリームが旅立ちます。
夜間飛行のジェット機の翼に点滅するランプは、

遠ざかるにつれ次第に星の瞬(またた)きと区別がつかなくなります。
お送りしておりますこの音楽が、美しくあなたの夢に溶け込んでゆきますように。

では皆さま、さようなら。よいお年をお迎えくだい。』

このナレーションの作詞は堀内茂男という人の散文詩です。

城達也さんは放送終了後2ヶ月後の1995年2月25日に食道がんで亡くなりました。(享年63歳)。

このジェット・ストリームは40年以上もJALの単独提供番組でした。JAL再建のため2010年6月にイオンとの2社体制になり、ナレーターも五代目になったとネットには書いてありました。

最近はJALに乗ることもなく、FM放送も聞いていませんので私にとってジェット・ストリームは過去の番組なのです。

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