シンゴ旅日記インド編(その37-1)我輩は牛でんねん 密教の巻(上)
あんさん、インドに来て、もう一年近く経ちますやろ。インド料理は慣れましたか?
エッ、インド料理は辛い料理ばっかやと思っていたが、そうでもないことが分かったってですか。
そりゃ、毎日辛いモンばっかり食べてましたら、いくらインド人でもお腹を壊しまっせ。
日本で食べモンの話しと言えば、信長さんが京都に入った時の話を知ってまっか?
天下の信長様に京都の料理を召し上がってもらおうと、名人と言われる人に料理を作らせて差し上げたんやて。
けどな、それに箸をつけはった信長さんが直ぐに怒って言うたんやて。
『なんじゃ、これは!?おミャー、こんなモンが、食えるか!たわけー!』
主人は慌てて料理人を呼びつけたんやけど、その料理人が自信を持って言うたんやて。
『ちょっと待っておくれやす、明日には信長はんが絶対に美味しいちゅう料理を作ってみせますよってに』
そしたら信長さんが『デアルカ、そんなら作って見てチョー、でもな、不味ければ、殺してしまうぞ、料理人!?』って許しはったんやて。
次の日に持って来られた料理を食べた信長さんは、えろう満足して
『こリャー、どエリャー、うまーギャー、たまらんでイカンワー。お代わりをチョー。』
と言って何杯も美味しそうに食べ、料理人に褒美をつかわしたとか。
誰かが後でその料理人に聞いたそうですわ。『どうしてあんなにも信長さんが喜んだのか』
料理人は答えたそうですわ。『信長はんは、味噌煮込みの尾張の人やし、あちこち走ってはるお侍はんでっしゃろ、そんで味を濃くしただけどす』
信長さんの舌が京都の公家さんの薄味とは合わんかったちゅう訳でんな。
そやけど、京都の人って天下人の信長さんを田舎モン扱いしたんですな。
エッ、そんな信長の話とインドと関係があるのかってですか?
そりゃおまんがな。
信長さんは比叡山の坊さんを皆殺しにしましたがな。
比叡山ゆうたら、サイヒエンテンでんがな。
何やそれはってですか?
最澄の比叡山の延暦寺の天台宗でんがな。
天台宗ちゅうたら、真言宗とならんで密教でんがな。
密教いうたらインドのバラモン教ですわ。
そんで信長さんとインドの関係が繋がりましたな。
言うたら『風が吹いたら桶屋が儲かる』ちゅう話と同じ理屈でんな。
エツ、密教って何やてですか?
お釈迦さんはキリストさんやマホメットさんと同じように自分で書かはったモンがおませんのや。
お弟子さんにお話でいろんなことを聞かせたんですわ。
そんで、そのお弟子さんたちが後で先生はこう言わはった、ああ言わはった、それはこう言う意味や、ああ言う意味やちゅうてお釈迦さんの言葉をそれぞれがお経に書きましたんや。
そんで、お経に書いてある普通の仏教を『顕教』って呼ぶんでっせ。
『密教』ちゅうのはお経もあるんやけど主に呪文や儀式を師から弟子に口頭で伝授していくんですがな。
エッ、そうやけど密教とバラモン教とはどんな関係にあるんやってですか?
まず、仏教はお釈迦さんが輪廻からの解脱を求めたんが始めでんがな。
そんで、仏教が上座と大乗に分かれたんのは知ってますやろ。
仏陀ちゅうのは悟った人ちゅう意味ですやろ。
仏陀=お釈迦さんやちゅうて、お釈迦さんと同じ修行せな解脱でけへんちゅうのが南回りの上座仏教ですやろ。スリランカやタイの仏教ですがな。
そうやなくて、仏陀はお釈迦さんだけや無い。仏陀=真理やちゅうてお釈迦さんを含む大勢の仏さんが苦しみから助けてくれるちゅうのが北回りで日本に入って来た大乗仏教でんがな。
お釈迦さんは如来さんや菩薩さんと同じ仲間で、真理を追究した人やちゅうのでんがな。
そやからお釈迦さんを『釈迦如来』とも呼びますやろ。
そやけど、よう考えてみたら南回りの仏教は輪廻からの解脱を求め、北回りは苦しみからの救済を行うんですな。キリスト教も救済が目的ですわな、北回り仏教はインドの北の方でキリスト教の影響を受けたんとちゃいますやろか。
アッ、そやそや密教でしたな。
密教も中国経由してますから、結局大乗仏教の仲間ですねん。
そもそも密教の呪文ちゅうか、真言ちゅうか、マントラを唱えて病気を治すとか、災いを無くすちゅうんは仏教の興る何百年も前のバラモン教にあったんでっせ。
お釈迦さんはそんなんはアカン、認めんちゅうて言わはったんですわ。
けど、お釈迦さんが亡くなりはって、何百年か経つとな、人間ちゅうもんはどうしても目の前のご利益を求めるもんでんがな。
仏教にもこの呪文を唱えるノンが多く入ってきて密教化したんすわ。
そしてヒンズー教にも取り込まれて行ってもたちゅう訳ですわ。
あんさん、大体やね、日本に最初に仏像が入って来たんは500年代の半ばでっしゃろ。
仏教派の蘇我氏と日本の神さん派の物部氏の争いで蘇我氏が勝ちはったやろ。
蘇我氏グループの聖徳太子さんが遣唐使を派遣しはったり、法隆寺、四天王寺とかお寺を立てはったでっしゃろ。
8世紀の奈良時代の仏教は南都六宗いうて中国からのそのまんまの宗派でしたがな。
そやから華厳宗は東大寺を、法相宗は興福寺を、律宗は唐招提寺を本山としましたがな。
東大寺の大仏開眼の直後に中国から鑑真さんに来てもらって坊さんの資格制度を作りなさったんやね。坊さんを国家公務員にして仏教を広めたんですわ。
でも不思議やね、神道の天皇さんたちが仏教を奨励するってのは。
日本では仏教が政治のために使われてもうて、お釈迦さんの解脱とは関係ない方向に行ってましたんやね。
本編(下)に続く
丹羽 慎吾