中国の印象(3)福建省2019

7. 社会
今、中国の景気は落ちているが、「米国との貿易戦争も間も無く解消」とこの先も楽観を決め込んでいる。この数年で大衆の生活水準は大幅に向上しており、人権が無いとしても皆満足し切っている。街でも「共産党が無ければ今の発展は無かった」の看板もあり、不満と言えば豚コレラの影響で9月から彼らの好きな豚肉が値上がりしている事くらい。

先の党大会(四中全会)で習近平が「最後の調整段階に入った。」と言っているし、去年に続き上海で開かれている「第2回国際輸入博覧会」も盛況で、海外ブースをインタビューするCCTVキャスターの口調も中国の自信を感じさせる。

街や駅で見かける共産党の宣伝も表現がマイルドになって来ているし、特徴ある社会主義制度に歴史遺物や儒教精神が復活しているようにも見える。香港がどう騒ごうが政府は確固たる態度で臨んでいる。実際、自由と言うものは、そこに身を置いた者で無いと判らない。

駅で    国家、社会、公民夫々の果たすべき役割が

街では、昨年の「十九大(中国共産党第19回全国代表大会)」で発表された「不忘初心,牢记使命(初心を忘れず、使命を胸に刻まん)」が盛んに貼り出されている。

新幹線の駅待合室に電動按摩器が設置されているのには驚いた。席の1/4を占めるほどの量。去年は見かけなかった。又、日本では温泉にしか置いていないような按摩器がビジネスホテルに置かれていたりする。いずれもスマホ決済で30分15元程度。

ホテルの部屋に。↓

普通椅子

按摩椅子

 

トイレに付いては、パッケージされた公共厠所が         公共厠所
バス停の近く等に設けられていた。男女共用で、
男子用だけ5人一度に使える。管理人が居て無料。
又、田舎の福建土楼では、30年前と変わらない  管理人室
溝跨式のトイレが使われていた。            中は跨式田舎の公共厠所

習近平のトイレ革命もここまでは及ばない。
入れば当然執行中の人と顔と目が会う。

執行中にスマホ操作→
(ニイハオトイレと言うらしい。)

中国が世界から蚕食されている頃、魯迅は東北大学医学部に留学していたが、「医学で中国は救えない」と文学を目指して夏目漱石の門を叩いた。そして「阿Q正伝」を発表するが、中国人の友達は皆「俺のことをモデルにした!」と立腹、多くの友達が離れて行ったと言う。そんな阿Qの国にこれまで何が出来るかとタカをくくって見てきたが最近の動きを見ていると「侮れないな」と思うようになった。現代の中国を魯迅先生が見たら何とおっしゃるだろう?

8. どうでもよい話
旅行中に阿部公房の「他人の顔」を2回読んだ。(再読しないと最初の場面設定が理解できないから。)私は、大学を卒業する頃これを読んだ積もりであったが、記憶にあった内容と全く違っていた。

地位も身分もある男が実験に失敗し、液体空気をかぶって顔を失ってしまう。顔は只の器で、人間は中身と実績で評価されるべきと考えて生きてきた男が包帯で包んだ顔では社会から疎外されてしまう。専門分野である高分子の技術と設備を使って他人の顔からとった型でマスクを作ってしまう。試して見ると他人の反応が変わり同時に自分の行動も変わってゆく。最後に妻を誘惑し浮気をするが、仮面は妻との行為に励むものの自分は妻の反応を見て激しく嫉妬する。この葛藤を日記に連綿と書いて見せるのだが、妻と隠れ家にしている借家の知恵後れの娘には最初から見破られていたと言う話。人相とそれに反応する他人を通じて自分を認識する姿、刺青等ワザと顔に傷をつける未開人や仮面をつけて踊る意味、女の化粧などがクドクドと評論・分析されている。

最後に象徴的な女の子の話、左は清楚な顔をしているが右はケロイドで潰れている。普段は左の顔で生活しているが、ある日兄に一生に一度の旅行をねだる。そして寝床で兄に接吻を迫る。満足した娘は夜明け前に起き出して服を着替え前の遠浅の海に入ってゆく。波に打たれながらどこまでも進んで行ってやがて姿が見えなくなってしまう。兄はそれを見ていて涙を流す。「醜いアヒルの子はやがて白鳥になりました。」然しそれはハッピーエンドではなくて敗北でしかないと阿部は言う。兄は、左の顔に接吻したのか、それとも右だったのか誰も知らない…。
色々専門用語が出てくるが、阿部が東大医学部出身だったことは初めて知った。

結局、学生の頃はその程度にしか読めなかったと言うこと。人は自分の目の高さでしか物が見えない。私の中国観もそのレベルの認識であろう。果たしてこれからの中国はどこに向かうのか?

- 写真 -
1)福州
この辺りは亜熱帯だけあってガジュマル(榕樹)の鬱蒼とした並木道にブーゲンビリヤの赤い花が青い空に映えて非常に華やか。

福建省の省都福州には、アヘン戦争で有名な林則徐記念館がある。この辺りから多くの華僑が出ており、生活苦から海外に出て行ったのかとばかり思っていたが、元々から船作り、航海が得意な部族で有名な鄭和の艦隊もここをベースにはるかアフリカまで回っている。

鄭和の航路 →
福州
これを以って南沙諸島
は中国の領土と言い張る。

2)武夷山
昨年の貴州(桂林)から湖南・広東・江西・福建~折江省と続き、ジュラ紀に堆積した海底が隆起→浸食され奇岩、渓流をなしている。朱子学を興した朱熹はここで学び、ここで教えたと言う。茶畑で有名。
九曲渓9.5kmを竹筏で下る。

岩の割れ目から空が一直線                 「一線天」と言う。60mH
近くにはお茶で財を成した下梅村古民居があり、昔ながらの生活が続いている。
下梅村古民居
風選機のトオミ

これに習近平を加えたら中国の核心4人

3)福建土楼
中原の漢民族が数次に亘って移動してきた言わば篭城村。この人達を「客家(はっか)」と言う。(鄧小平も客家出身)客家とは、「よそ者」の意味。
1つの土楼に100家族くらいが住む。広い範囲に散っているので貸切りタクシーで移動。(貸切1日500元)
土楼内部
土楼

1階は店舗で2階以上が住居。ホテルにリフォームした土楼もある。

豚の頭と調理
肉の行商

4)厦门市
厦门は、普通語では「シャーメン」、この辺りから台湾原住民が使う閩(びん)南(なん)語では「アモイ」。それ程発音が違う。アヘン戦争敗戦時の南京条約で各国の租借地となり特に鼓浪嶼(コロンス)島には各国様式の大使館が並び、観光地となっている。
又、福建華僑の故郷として有名。

華僑の故郷:集美村の公園
下は集美中学校

鼓浪嶼(コロンス)島の日光岩から厦门を望む。

名門校の一つ 100年の歴史を数える厦門大学と通学トンネル内の落書き
検閲のせいか大人しい。

学業に支障があると、平日1000人、週末5000人、休祝日10,000人と一般の観光は制限されている。落書きは、日本の看板に比べ大人しい。
厦門大学も集美小、中学校もマレー半島でゴム王となった華僑「陳嘉庚」が建てた。
<追記 一応今後の為に->
今回のルートは、関空-福州で直行便が1日1便しかない。ネットで引くと厦門航空とJALが直行便を出している。昨年は、大阪湾の台風と重なって帰り便が無茶苦茶になる中で現地のJALが日本語対応してくれたので助かった。その経験もあったので、JALで買ったが今回はJALが提携会社として厦門に一括丸投げしている。これでJAL:\62,000、厦門:4万弱。現地にJAL職員は居らず中国語か英語対応、それも南方訛りなので全く判らない。機内食も厦門標準の様だったし、この差をどんなメリットに求めたら良いだろうか?
いい加減飽きたので帰りを早めてもらおうとしたら、「安物切符なので変更は出来ない。帰りの切符は廃棄して新たに\180,000支払うべし。」と言われ止めた。

1) 行きは機内で「入出国カード」が渡される。入国審査後、半券の「出国カード」を返却される。このカードは帰りの審査まで邪魔でも保持のこと。
2) 中国の出国審査は厳しいので、ポケット等に金属類は一切入れず、全て手持ちバッグに移した方が良い。
3) 予備バッテリーは特に厳しいので、バッグから出して外から直接見える様にした方が良い。
4) 日本に帰る時も「入国カード」を書かされ、土産等持ち帰り品の申請をする。

(完)

土谷重美

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