イラン追想(その12)珠玉のイラン映画「セールスマン」
監督・脚本:アスガー・ファルハディ
以前にも書いた記憶がありますが、現代のイランはイスラームで律せられており、映画などに厳しい検閲が及んでいます。女性は頭から頭巾をかぶっていなければなりませんし、ましてや性愛の表現などは一切許されません。
そのような制限の中でイラン人監督のファルハディは巧みな映画作りをして観客をうならせます。話題作「別離」につづいて注目を浴びた作品が「セールスマン」です。
映画の題名は、この作品が劇中劇としてアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を取り上げていることに由来しています。主人公である夫婦が劇団に属し、アメリカ人作家の作品を演ずるとの設定なのです。表向きではイラン人はアメリカを嫌っており一種の仮想敵国ですが、多くの人々にはアメリカに対する憧憬があると言われます。
本編では、ひとつのミステリーをめぐっての人間心理、夫婦間の葛藤が描かれます。夫婦が新しい転居先に越したところ、前の住人の置いていった荷物の処置に困り果てるところからミステリーが始まります。やがてその住人がいかがわしい商売をしていたのでないかとの疑惑が持ち上がります。そして夫の留守に、入浴中の妻が襲われる事件が起こります。浴室に入る前に夫だと勘違いして建物入口の電磁鍵を部屋から解錠したことがきっかけでした。なぜ犯人はその部屋に入ってきて、女性を襲ったのか。
この作品が訴えるものは奇をてらった筋立てでも、ミステリーの謎解きでもありません。描かれているのは、現代に生きる我々が、イランであろうが他の国だろうが、普遍的に起こり得るハプニングに思いもよらずに巻き込まれ翻弄される人間劇なのです。あのときあんなことをしなければよかったと後悔する、それがたまたま皮肉な展開となって拡大してしまい、取り返しがつかなくなるという話です。
これ以上ネタバレになる話はやめましょう。まずはこの作品をご覧になることをお勧めします。一般的には日本人にとって縁の遠いイランでつくられた映画が、日本人にとっても共感を覚える、人間の根源的なテーマで迫ってくることに良い意味での驚きを受けるかもしれません。
(筆者はAmazonのプライムビデオで観ました。)
風戸 俊城