追憶のオランダ(10)ロッテルダム日本人学校
当時(1990年代)、オランダはあのように狭い国(と言っても、面積は九州くらいです)なのに、日本人学校がわずか75kmしか離れていないところに2校もありました。アムステルダムとロッテルダムです。当初ロッテルダム近辺から南の地域の子供たちは、毎日バスで1時間以上かかってアムステルダムまで通うか、現地校かアメリカンスクールに通いながら補習校で勉強していたわけです。そこでロッテルダム在住日本企業の人々がなんとかせねばと尽力し、さらに大阪府、ロッテルダム市の絶大なる支援を得てオランダで2校目の日本人学校がロッテルダムに実現したのでした。両校にはそれぞれ文科省から先生を派遣してもらい、日本の公立の小中学校と同じ質の授業が受けられるという恵まれた環境ですが、学校としてはあくまでも私立学校なのです(公立学校ではありません)。したがって、日本からの先生派遣のこと以外の学校運営にかかわるすべてのことは私立学校として理事会による運営になるのです。これは、世界どの国にある日本人学校でも同様です。私も他の日本企業の方々と一緒に、微力ながら3年間理事としてお手伝いをさせていただきました。
学校の土地と校舎についてはロッテルダム市から「年1ギルダー」の契約で借り受けていました。それとロッテルダム日本人学校がユニークだったのは、同じ敷地に、しかも建物も一体になった校舎で半分はアメリカンスクール、半分が日本人学校というものでした。共通の設備を使用することもあるし、時々、授業でも交流もしていました。International Education Center of Rotterdamというのが正式名称です。日蘭交流400年を祝う学校での記念行事には、現アレキサンダー国王(当時は皇太子)が来賓で見えられたこともありました。この写真は、Google earthから借用した最近の様子です、正面玄関が写ってないのは残念ですが。
しかし、学校運営の費用というのはそれなりにかかり、小学校から中学校までの9学年がありますがロッテルダムくらいの規模の生徒数(当時80-100人弱)ではどうしても授業料収入だけでは経済的な面で運営が厳しくならざるを得ませんでした。隣の国のデュッセルドルフのような日本人が多く住んでいるところは別としても、その他のヨーロッパの都市の日本人学校は運営に頭を痛めていたようです。私も、他のヨーロッパの事務所の同僚からその地の日本人学校の様子を聞いたりして参考にしていました。生徒の親たちの中には、日本人学校なのにどうして授業料を払うのか、というクレームもでてきます。そもそも日本の公立学校と同じだと思っているところから誤解をされているわけで、これは何度も説明して理解してもらいました。また、厳しい学校運営から、授業料の値上げの話をした時には、もうこれ以上の値上げは受けられないと抵抗される親御さんもおられました。皆さん、海外での子女教育に関心がなかった方は(以前の私も似たようなものでしたが)公立の小中学校はタダという感覚があって、それには一人一人懇切丁寧に説明し、それでも納得されない時は、「それでは、隣のアメリカンスクールはいかがですか?ところで、彼らの授業料はいくらかご存知ですか?一桁お高いですよ。」ということにしていました。日本人学校は、子供が通っているといないにかかわらず、ここに住んでいる人たちの善意で運営されているので、特にお子さんが通っている家庭の皆さんは学校行事とかにも是非積極的に参加しご協力ください、とお願いもしていました。
最後の写真は、理事を退任し帰国するにあたり同校より頂いた記念のデルフト焼き絵皿です。校舎正面と校章(チューリップと桜がモチーフです)が描かれています。