追憶のオランダ(51)海を渡ったお雛様

いつもこの季節になると、否応なしに思い出されることがある。我が家のお雛様は海を渡ったんだと。
我ら夫婦は一男一女に恵まれた。私がオランダ転勤の時には、息子はその春ちょうど高校に入ったばかりであったこともあり私の両親に息子を預け日本に残して行くことになった。その引っ越しの時、女房は荷物の中に娘のためにお雛様も入れていた。そのお雛様というのは、岳父が孫娘のために贈ってくれたもので七段飾りの大きなもの。貰った当時は私たちはまだ公団の2DKの団地住まいで、そんな大きなものは飾る場所に困るだけといったのだが、店に勧められてついに買ってしまったらしい。多分、七段飾りというのはその頃の流行りだったらしい。案の定、2DKには大きすぎた。飾る時期には、とたんに我々家族の寝る場所がなくなってしまい、親子4人雑魚寝になった。この写真がそのお雛様である。

そんなお雛様、オランダにいる間だけは随分ゆっくりとされたことだろう。一部屋を完全に占領でき、青い眼の人たちに好奇と賞賛の眼差しで迎えられ、さぞ満足もされたことだろう。はて、何十人に見てもらっただろう?お雛様を初めて見るオランダ人にとっては、ほんとうにどのように映ったことか。一緒に何枚もの写真を撮って皆さんに差し上げた。最初に住んだ家の隣の三姉妹、2軒目の家の隣の小さな女の子をはじめとして、会社の同僚たちやら日頃親しくしていた友人たち家族の人たち、さらに近所のおじいさん、おばあさん・・・、要はこの時期に我家を訪れる人すべてにご披露させてもらった。そして、この近所のおじいさんは若い頃(前回の東京オリンピックの前後らしい)日本に来たことがあるというビジネスマンで、東京で大手企業H製作所の工場を訪問したことがあるという。聞くと、その場所というのは、まさに私が結婚して最初に住んだ足立区にある住宅公団の団地の場所なのだ。つまりH製作所が移転した跡地に住宅公団が大きな団地を作り、私たちがこのハイムに引っ越してくるまで10年以上住んでいたところなのだ。何か、因縁を感じることでもあった。その時、御夫婦は既にかなりの高齢であったので今はもうこの世にはおられないかもしれない。でも、お雛様を見て大感激してくれた二人の顔を懐かしく思い出す。

なお、オランダから帰ってもう20年を超えるが、その間ずっと我が家がこのお雛様の保管場所・飾り付けの場所になっている。また、今年もその季節になった。二人いる孫娘たちのために急いで部屋を片付けないと・・・。

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