囲碁――ニューヨーク滞在記(1)
囲碁――ニューヨーク滞在記
[はじめに]
10年前、ニューヨーク・マンハッタンにある日本棋院のニューヨーク碁センター(NYGC)で3か月の間、碁センターに寝泊まりしながら囲碁指導をしたことがあります。その様子をインターネットのブログに載せていましたが、この度「ハイムのひろば」に掲載するにあたり、再度、読みなおし「てにをは」を見直しました。この拙文を読んでくださるみなさんに、ニューヨーク生活の一端をお伝えできれば幸いです。
ちなみに、NYGCは囲碁棋士の岩本薫先生(故人)が1995年に私財で購入したビルを日本棋院に寄付し、アメリカでの囲碁普及の拠点として設立したものです。所在地はマンハッタンの2番街と3番街の間、52丁目にあり、近くにはセントラルパークがあって、生活するには良いところでした。建物は4階建てで1階と2階、そして地下を碁センターとして使用し、3,4階は住居として貸しています。2階の一部は日本から来た指導者の生活空間として部屋が用意されており、2畳ほどの畳敷きのスペースに布団を敷いて寝泊まりできるようになっています。1階にキッチンがあり、毎日のように自炊をして暮らしました。
平成20年4月7日(月)曇り
成田を立った飛行機(ANA)は12時間15分のフライト後、ニューヨークJFK空港に定刻に到着した。高本氏(IBMの先輩で囲碁はアマ七段)と私(兵藤)は友人のPaul Anderson氏(元US IBM)の歓迎を受けて2年ぶりのニューヨークに降り立った。氏は、今日から3ヶ月間の囲碁ボランティアの拠点であるニューヨーク碁センターの理事長であり、1年前、我々に囲碁ボランティアとしてニュ―ヨークへ来るよう要請した張本人(?)でもある。
早速、Paulの愛車プリウスでニューヨーク碁センターのあるダウンタウンへ車を走らせた。今日のニューヨークは曇天で、機上から摩天楼は見えなかったが、JFKから20分ほど西へ行くと、エンパイア・ステイト ビルの偉容が目に入ってきた。そのあたりから交通渋滞がひどくなり、1時間ほどかけて碁センターに到着した。 荷物をおろしてPaulの住まいのあるNY北郊Chappaqua(チャパクゥア)へ向かった。 Paulの好意で彼の家で一泊し、長旅の疲れを癒す為である。 家ではKazuko夫人のこころ尽くしの日本食で厚いもてなしを受け、また、バス・タブにもゆったりとつかり疲れを取ることができた。
平成20年4月8日(火) 曇りのち晴れ
ニューヨークの朝は気温5度前後で、東京の3月上旬の気候である。今日も曇りのせいでより寒く感じる。碁センターは午後5時から始まるので、3時頃までPaulの家でゆっくりと碁を打ちながら過ごし、それからPaulと共にダウンタウンに行くことにした。碁センターでこまごまと生活上の話を聞いているうちに、5時近くになりスタッフの一人がやってきた。Paulに紹介してもらい彼と話しをしながら待つうちに、玄関のベルが鳴った。さ~て、囲碁ボランティアのはじまり!はじまり~!!
[ボランティア]
最初の相手はジャスティン(Justin)君、まだ童顔の残る二十歳そこそこの若者で、囲碁も習いたての18級くらいとのこと、星目でお相手をする。対局後の話によると、彼はノースカロライナ出身の大学2年生で哲学専攻だそうだ。その他に古代言語(ギリシャ語等)を勉強中、どことなく風貌が思索的である。今日のビジターは他に定年を迎えた日本人4人組、毎週火曜日に碁センターに集まって、囲碁を楽しんでいるそうだ。囲碁(以後)の一杯も楽しみと言いながら早めにセンターを後にされた。
平成20年4月9日(水) 晴れ
[ウォーキング]
セントラルパークを一周と思ったが、一日かかりそうなので途中までにする。大きな芝生の広場には白色と薄桃色の二本の桜の木が夫婦のように寄り添い、満開の花をつけていた。