荻悦子詩集「樫の火」より~「家」

両親はドーナツ型の家に住んでいる 数日経ってよ
うやく気づいた 向い合わせに窓があり あまりに
も明るい室内 両方の窓際にベンチが作り付けられ
ている 私は何気なくテニスボールをベンチに置い
た ボールは転がって 両側の壁に当たりながら転
がり続け 見えなくなり やがて壁のカーブに沿っ
て元の所に戻ってきた 窓際のベンチではなく 畳
の上で私は時々よろめく 柱や建具に頭や肩をぶつ
けそうになる 大きな鉢が五つあり 常緑樹の果樹
や花木が植えられている グレープフルーツの木に
実は生らない キウイの蔓に下がったたくさんの実
の下で 母が糸車を回している 木綿糸 絹糸と紡
いでは 何かを織ったり編んだりしている 糸車が
急に回り出し もう止まらない そんな恐怖にから
れ 糸車から目が離せない 母には何も起こらず
ふいと立ち上がって歩きまわり 他の作業をせっせ
とこなして休むことがない 糸車はそれ自身では回
り続けない 代わりに母が動きまわる そういう仕
掛けになっている 母のための様々な作業部屋が円
く連なっている 部屋がいくつあるのか 私には明
かされない 両親はついにこんな家に越してきた
窓の外を眺めると 一面に水である 川か湖か内海
か判断がつかない 厚い床板に柵を巡らせただけの
乗り物が水の上を動いてきた 父を迎えにきたらし
い セーフティ―ジャケットを着た若い男の人が二
人乗っている 父が階段を降りていった 水面を滑
るそのボート状のものに乗って 父が新しく通う先
はどんな所か どんな職に就いたのか いぶかしく
思うが 明かされない 乗り物が水を蹴立て 部屋
が揺れる 身体も揺れる ドーナツ型の家自体が揺
れる水に浮いているのだった

荻悦子(おぎ・えつこ)
1948年、新宮市熊野川町生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了。作品集に『時の娘』(七月堂/1983年)、『前夜祭』(林道舎/1986年)、『迷彩』(花神社/1990年)、『流体』(思潮社/1997年)、『影と水音』(思潮社/2012年)、横浜詩人会賞選考委員(2012年、16年)、現在、日本現代詩人会、日本詩人クラブ、横浜詩人会会員。三田文学会会員。神奈川県在住。

 

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