新加坡回想録(12)北京語を習う

ことばについての記事が3回続きましたが、今回は私の北京語学習体験についてお話しします。

シンガポールへの駐在が決まる前によくマレーシアへ出張していました。東マレーシアのボルネオ島からサゴ澱粉(サゴ椰子の幹から取れる澱粉)の輸入を担当しており、行き帰りに必ずシンガポールに立ち寄っていました。当時からシンガポール国民の75%以上が中国系の人々でしたが、マレーシアの取引相手も実は、中国系(福建省出身)の会社でした。

私は英語しかできなかったのですべて話は英語でしたが、先方の社長は福建省出身で英語が得意ではありませんでした。普段は、シンガポール支店のローカル社員(後に私の部下となる福建人)と福建語で話をするので全く問題はなかったのです。出張で私が訪問した時は直接話さなければならないので英語で話すのですが、時々分かりにくいことがありました。そんな時は、社長の長女や長男が中に入って通訳してくれたのです。長男の英語はシングリッシュに近いものでしたが、長女は大学を出ておりきれいな英語を話しました。

出張の目的は、減少傾向にあった原料澱粉をできるだけ確保することで、輸出会社を経営するその社長と一緒に、サプライヤーの工場を訪ねて歩くことでした。歩くと言っても、工場はジャングルの中の辺鄙なところにあったので、交通手段はボートでした。マングローブが生い茂り泥のような色をした川を、船尾に”KAWASAKI”のモーターを付けた小さなボートで1軒1軒回って在庫をチェックするのです。社長はその場で次の船積みに間に合うロットが何トンになるかを確認して工場と値決めをします。

この時に、社長と工場のオーナーが交わす会話は福建語でした。工場側の人々は全く英語が話せないので直接話が出来ず、聞きたいことは全部社長に通訳してもらいます。肝腎の値決めをしている時に思いました。

「言葉がわかったら相場がわかるし、最後にするこの社長との値決め交渉に役立つのになあ・・・。こっそりと福建語を勉強してやろうかな」と。

このことがきっかけになったのは確かですが、さすがに福建語を学ぼうとは思いませんでした。この仕事以外にもシンガポールの会社との取引がいくつかあり、その相手の会社の中に中国系の会社が何社かありました。福建人でも、広東人でも、潮州人でも標準語である北京語は理解します。中国語を学ぶならやはり標準語である北京語(華語・普通語)ということになりました。

赴任してまもなく、シンガポール日本人会に北京語のクラス「中文班」があることを知りそこでの受講を決めました。そこでの授業は毎週火曜日の夜7時から8時半までで、講師は年配の中国人女性でした。先生は日本語が出来ないので英語で北京語を教えるというかたちでしたが、ほとんど北京語ですすめていました。生徒は男女合わせて10名前後いました。

週一回だけなのでなかなか進みませんでしたが、少しずつ慣れていき次第に溶け込めるようになったころ、先生から班長を任命されました。学習は順調に進んでいたのですが、来客の接待など仕事で欠席することが多くなり、そのうち辞めることになってしまいました。結局は半年くらいしか続かず中途半端に終わってしまい、あとは自習ということになりました。もう少しやっておけばよかったと今更ながら思います。

簡単な挨拶くらいはできるようになったので、取引先の人相手に時々話したりしているうちに、実際には大してできないにもかかわらず、この人は北京語が話せるといって紹介されるようになりました。食事会などの時にもその話題になることが多く、少しだけ披露すると、発音がいいとか、凄いとかおだてられていい気持ちになったものです。ずっと続けるとボロが出るので自然と英語に切り替えていましたが、先方もそれほど期待している訳ではないので問題ありませんでした。話題の一つになっただけプラスになったと思います。

(西 敏)

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