私の履歴書~土谷重美④会社時代

4.会社生活

椿本チエインは、代理店販売を採っているので客とのやり取りやネゴ交渉、嫌な納期遅延折衝は代理店がやってくれる。若い頃新規開拓した大手会社と代理店問題でもめて直売することになり、これがその後の営業をやる上で多いに勉強になった。給料6万の頃の1億以上の取引で、ふいの接待に備え10万くらいをいつもポケットに入れていた。(当時は全て現金決済でカードは使っていなかった。)

取引口座の開設から中元歳暮の付け届けまで全て一人でやった。上司は直取引に慣れていない上、部品部隊から来た人で設備の知識は無い。工場に顔が利くわけでもなく、10年以上離れた係長のアドバイスが全てだった。ネゴ代を見込んで出す見積書の書き方など営業のイロハはむしろ客が教えてくれた。週の内、3日は客先、2日は工場、1日が事務所と言う生活だった。無論、子育ては家内に任せっ放し。

競合の情報などは客を通じてしか知ることは出来ない。それを直截的に聞いても教えてくれる筈も無いが、客の予算・敵の額を知らないと見積もりも出せない。何とか手がかりを得ようと色々考えた。例えば「1億ではどこもやるところは無いでしょう?」と言う言葉を置いてみることによって近いのか、はるかに離れているのかの想像は付く。言葉を変えてゆくことによって範囲を狭めてゆく。

客が用心し出すと雑談で客の心を和ませ、緩んできた時にポンと元の言葉を置き客の一瞬の反応を読み取る。営業は口の商売と思っていたが、熱心に話し出すと自分で言葉に酔い、相手の反応が読めなくなってしまう。営業用の言葉は「話すのではなく置く。」その時の客の反応を第三者的視点で横から観察する。こう言う真剣勝負の中で人の感性は鍛えられると思う。

客先に身構えさせない為には、自分の弱点を晒し、客がアドバンテージを持っている様に思わせるのが得策。注文を取るのに一番簡単なのは客の画いているストーリーに沿って社内を動かすこと。その次には、自分がプロデユーサになってストーリーを作り、客と上司を含む社内にその通り演じてもらうこと。自分が演じては周りが面白く無い。私が居なくなっても客との関係が維持できる様、イベントの度にトップ同士を会わせる機会を作るように心掛けた。

又、「意外性」を出すことにより、客への印象を強めることが出来る。例えば東京であれば一般的に工場は都心から1時間半くらい離れたところに在る。普通の営業マンなら電話を入れるのが9時過ぎ、訪問して来るのは10時半頃。それを購買等事務職相手なら8:00に入って一緒に体操する。電話が入ってくる、或いは競合が訪問してくるまでの間ストーブに当たりながら1時間くらいは無駄話が出来る。

仕事熱心な技術屋相手なら夜遅くまで残っている筈。管理職が居るとカウンターより中に入れてもらえないが夜遅く誰も居なくなるとバリアが緩くなる。担当の席まで入って行って競合先の見積を覗く。セキュリティが厳しくなっている今ではこうはいかないが昔は簡単に出来た。

一方、仕事ができない人間だからと言って無視してはいけない。そう言う人は昼間大抵席に座っている。誰からも相手にされないので近付き易い。「○○社の××さんは来ましたか?」「打ち合わせ室に入っているよ。」「何人?」「5~6人かな。」と言えば技術打ち合わせとか敵がどの段階まで来ているのか動きが読める。

中元歳暮の付け届けもデパートの配達に任さず自分で配る。昔は公衆電話BOXに厚い電話帳があって世帯主の名前と住所が載っていた。普段の会話でどの辺に住んでいるのか聞いて置けば大体の場所は判る。後は公衆電話から「高島屋ですけど荷物が届いてますので…。」と道順を聞き出して、奥様と一言二言話して帰る。「将を射んとすれば先ず馬を射よ。」翌日行けば資材部長が「君、昨日来てくれたんだって!」と話が弾む。

後に教育のために部下の営業に同行したことがある。彼は前日に余程勉強したのだろう、カタログを出して立て板に水を流す如く流暢に説明する。後で喫茶店入り「客は何を考えていたか分かったか?」と聞いたら全く客のことは頭に無かった。

営業折衝の場面では、西郷と勝海舟の江戸城引渡しの折の「赤心を推して敵の腹中に置く」(司馬遼太郎の「竜馬が行く))と言う言葉をいつも思い浮かべていた。

土谷重美

~つづく~

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  1. 土谷重美 より:

    昔は、客の要求仕様通り作って納めればよかった。その後、新商品開発が進んで性能の良い部品が色々出てくるようになり、事例を多く知っている我々メーカーの側から使い方も含め提案する機会が多くなった。一方、窓口担当となる人も設備経験の浅い若い人に替ってゆき、我々の提案もその後で決済する人や設備を購入する人、使う側の人に正しく伝わり難くなった。そこで目の前に居る客の背後に居る客、つまり「客の客」にも一目で理解してもらえるような提案書作り努めた。このやり方は今も変わっていない筈だ。

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