私の履歴書~土谷重美⑤退職以降
5.退職以降
バブルが崩壊して、続く失われた10年の間に価値観が一変、当時流行したリストラの波に乗って私は会社を辞めた。その3年前に水処理部門に移動、ここはリストラの対象ではなかったが、昔一緒にやっていた設備関係の連中が「そちらに引っ張ってくれ。」と頼んでくる。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の光景で入社の頃の和気あいあいとした社風は既に無く、管理職には首切りの為の「想定問答集」などが配られてくる有様。殺伐としたムードで、オイルショックの後大量に首を切った競合会社で処理に当たった人事部の友人(同じゼミ・その後退職)から聞いていたのと同じやり方。
リストラの後、何人かの苦労話は聞いたが、幸い私は現役時代の仕事仲間に助けられ中小を転々とした割には失業期間を経験することは無かった。当時はまだ失業保険も篤い時代で就職支度金も200万余り出るらしかったが、「本当に困っている人が貰うもの」と受け取らなかった。同じ時期に辞めた同僚は誰も貰わなかった筈だ。
上がつかえる頭でっかちの組織に役職定年制が導入され、これまで「アホ、ボケ」と叱っていた部下に使われると言うのも抵抗あるが、会社を替わることで気持ちの切替えも出来、若い人の手助けも積極的に出来た。退職の決意に当たり、既に子育ても終わり、一切の義務感から開放されていたことも大きい。
青春、朱夏、白秋、玄冬。既に白秋の終わりに差し掛かり、紆余曲折の人生であったが、これまで大きな病気も無く4人の孫にも囲まれてまずまずの人生だったのではないか。小・中学の同窓会、高校の同窓会、大学の同窓会、アイスホッケーの集まり、椿本時代の同期や仕事仲間の集まり、名古屋時代に始めた絵画の集まり、バイクツーリング、後に勤めた会社の仲間…本当にいろんな人に支えられて来たて今日の稔がある。
土谷重美