私の履歴書⑦「醜いアヒルの子」~オチコボレの新入生に贈る(1)

心理学的に言えば、学生時代と言うのは、ゲマインシャフトな家族社会から、ゲゼルシャフトな大人社会に適合するためのモラトリアム期間であると言う。奈良県吉野郡西吉野村大字宗川野という、文字通り人跡未踏の村落共同体に育ったボクにとって、大学生活とは、都会という極端に機能的且つ、合目的的な社会に順応するためのまさに猶予期間であった。

今でこそボクは、自他共に認めるシティーボーイとして大都会の空を自在に飛び回ってはいるが、そのためには気の遠くなるほどの長い助走期間を必要とした。今の華麗な身のこなしから、ボクの昔の面影を想像できる人間は誰も居ないだろう。
現役時代のボクはと言えば、いつも首をすくめてただひたすら嵐の過ぎ去るのを待っているだけ、「チャレンジ」とか「ガッシ」とかいう若者らしいひたむきさとは凡そ無縁の人間であった。

青春がムンムンするキャンパスの中で場違いなヨレヨレがトボトボと歩いていたらそれは必ずボクだった。しかし、いつの時代も転機は本人の意思とは関係なく訪れる。そんなボクがどのようにして大空に舞い上がることができたのか、毎年、必ず何人かは迷い込んで来るオチコポレのアヒルのためにも、今こそボクの思い出したくない過去を語ろう。

そもそもボクの場合、アイスホッケー部に籍をおくようになったキッカケからしていい加減だった。入学式を終えて間もない頃のお決まりの新人勧誘風景。ノッケからボクは見たくないものを見てしまった。デカい身体付きの新入生がアイスホッケー部のキルティングを着た連中数人に取り囲まれ、スッタモンダの挙句、 逃げようとしたその新入生は、無残にも学生服の袖を引きちぎられてしまったのだ。学生服以外、身に付けるものを持っていなかったボクは、その光景が目に焼きついていたので、同じキルティングを着た連中に腕を捕まえられた時は、もう為されるがまま、既に抵抗する気持ちは萎えていた。

酸えた臭いのする、いかにも不潔たらしい部室に引きずり込まれ、同期の松山の話では血の付いた雑巾で脅かされたというが、ボクの場合は見るからに屈強そうなスポーシ刈りの兄ちゃんが、汚い関西訛りで、これまた汚なく擦り切れたスケート靴を差し出して、「オッ、ピッタシやないか。これでナンバに行ってみ。」入るのが当然とばかりの言い方で、後でこれが一騎当千、精力絶倫と関西リーグでも名を馳せている谷先輩と教えられた。同郷の、しかも名門畝傍の出身とも聞かされたが、奈良県人特有のあの雅さは微塵も感じられなかった。

その日のうちに 一緒にパクられた二人の仲間とナンバリンクに連れて行かれた。生まれて初めて足を踏み入れるスケート場は、やたら騒々しく都会の縮図そのもの。見るからに不良然とした奴等が、真昼間からチャラチャラと滑っており、不純異性交遊の溜まり場であることは直ぐに見て取れ、純なボクには嫌悪感だけが残った。

その日の引率は金本先輩。「どや、オモロイやろ?」しつこく念を押されて、やむなく伏し目勝ちに頷く他なかった。スケートだけでは乗せられないと思ったのか、あるいは、ここで一挙にたたみこもうという魂胆か 終わってから通天閣まで連れていってくれ、お好み焼きをおごってくれた。酒と小便の匂い入り交じった路地裏の角をチョット入って、油に汚れたノレンくぐりつつ、「豚玉3ツ!」威勢良く言って、金本先輩は”通”らしかった。

初めて口にするお好み焼きは、田舎の味噌、醤油に慣れたボクの舌には奇異なるモダンな味で、もっとゆっくり味わって食べたかったのに 金本先輩は「ハー、ハー」とせわしなく口を動かし、僅か数秒で平らげてしまった。口の周りいっぱいに青海苔を付けて、この時初めて「この人は、きっといい人なんだ…」という気がした。

勧誘時の優しさとは裏腹に 人ってからの練習は、これはもう悪夢の連続であった。スケートリンクでは同じところをグルグル回るので、追い抜かれても又いつか集団に戻れるチャンスがあるが、陸トレとなるとまるで絶望的。校門を出るまでに既に2~3キロも離される有様で、百舌鳥八幡を回って帰って来る頃には、 もう皆は一汗かいて芝生の上に寝そべっている。

着くや否や、待ってましたとばかりに次のサーキットトレーニングが始まって一人だけ休む間も無く、ボクは非常に損な気がした。それでも一年生の頃はまだ良かった。今にも倒れんばかりに苦痛に歪んだ顔をしてデレデレとお茶を濁している間に時間がすべてを解決しくれた。

しかし、二年になるともうどうしょうもなかった。ひ弱な一年坊主にまで次々と抜かれる始末で、この頃ボクは、絶望を通り越して自分の存在にすら疑問を持つようになっていた。「負け癖」という言葉があるが、丁度この頃のボクは、条件反射的に人の前には出られない人間になっていた。

ある日の陸トレ、400m走があった時、あろうことかボクは、廣田先輩を追い抜いてしまった。「そんな筈はない。 何かの間違いだ…」思った瞬間、スーッと目の下を廣田先輩の小さな身体が駆け抜けて行き、か細い骨には不釣り合いな大き目の短パン、スカートの如くはためかせながらゴールする後ろ姿を見て「やっぱり…」と、妙に安心したことを憶えている。

もともとボクは、運動部などに入れる様な人間ではなかった。運動神経が最も発達する小字校、中学校の大事な時期に、球技というものを全く習ったことがない。猫の額のように小さな村の運動場では、キックポールでさえ、勢い余ったポールは簡単に柵を越えて、裏の谷川まで転げ落ちて行った。だいいち、校長も含め全部で五人しかいない村の学校の教師の中に、体育を専門にする先生など来てくれる筈もなかった。

そんな訳で、身体は大きかったが体力はからっきし弱かった。雄の論理か支配する原始的な村社会では、体力と腕力だけで男の値打ちが決められてしまう。高校になってもオクテであったボクのカコブは一向に盛り上がらず、焦燥感と劣等感だけがドス黒く膨らんでいった。

~「醜いアヒルの子」~オチコボレの新入生に贈る(2)につづく~

昭和41年入部経済学部卒 土谷 重美

土谷(4年)
A(2年)M(3年) 
GK(3,4年)  3年冬 4年冬

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